Entry

近況報告2015年夏

ファイル 229-1.jpgファイル 229-2.jpgファイル 229-3.jpgバタバタした生活が続いています。。

しかも、なんと今日これから日本に向かうといった感じです!!

今年のプラハの夏は、記録的な暑さでした。私は築100年以上経つ家に住んでいるのですが、古い家は壁が厚い(60センチぐらいある!)おかげもあり、夏はクーラーなしでも結構快適に暮らせる感じなのです。どんなに暑い日でも、夜になるとひんやりして、寝苦しいということはあまりなかったのですが、今年の夏は、夜になっても熱帯夜になるような暑さで、熱帯夜を体験したのは、チェコに住み始めてから初めてでした。扇風機も、毎年1、2週間ぐらいしか活用されていなかったのですが、今年は大活躍でした。

前回のブログ更新から2ヶ月以上経ってしまったのですが、この間、ブログ書こうかなと思ったこともあったのですが、結局のところ書けなかったのには理由があったのです。というのも、製作・仕事等色々あったのですが、この夏、教習所に通いだした事が、私の精神を、かーなり、すり減らしてくれたのです。。まあ、大げさですが、日本で免許を取らなかった過去の自分をそこそこ恨みました。。

教習所へ通いだしたのは7月中旬で、その頃、感じた(凄い精神状態だったと思うのです。。)ことを、一度ブログの下準備的な文章を書いたら、全部、教習所に対する恨みつらみ、愚痴的なものになってしまい、これは、試験が終わって、精神的に整理がついてからブログを書いた方がいいなと感じたのです。。

チェコの教習所。

日本のテーマパークのような?練習所がないので、どういうペースでいくのかなと思っていたのですが、案の定、最初から公道でした。最初のレッスンでは、2人初心者の生徒を前に、教官が車の中で、運転の仕方教えてくれるものでした。ちなみに、ヨーロッパはマニュアル車が主なので、マニュアル車の免許を挑戦しました。次の回から、個人レッスンで、前回教えた通りに、じゃー、走ってみよう!みたいなノリで。。(チェコ人の友人達から聞いた話では、教習所によっては、まず、実際の車ではなく、ゲーム的な車で練習したり、大きめの駐車場で運転練習してからスタートするところもあるようなのですが。。)

私が通っていた教習所は、自宅から徒歩範囲で、時速30キロ制限のある地域なのです。だからって、初心者で、しかもマニュアル車で、人が結構歩いていて、いきなり車が一時停車したり(お店が一杯あるので)な街を、エンスト起こしまくりながら、何がブレーキで、何がギアなのかもよくわかっていない人が、右側から来る車が優先だから、のアドバイス一言で90分走ったのは、メチャメチャ怖かったのです。。 2回目の走行では、普通に交通量の多い公道で、(プラハに在住の方想像してください!!!)パルモフカのあたりから、クレイツァーレックへ抜け、スポヨバツィーを通って、プロセックの方へ行くといったもので、ほとんど自殺行為に近いものだったのです。。

なんというか私の教官は、いわゆる日本的な鬼教官とは違ったですが、まーなんか、厳しい方で、この自殺行為に近い走行中も「もっと、未来を予測(予測するもなにも、全て目の前で起きている事が初めてなのですが。。)して走らなきゃだめだ!」とか、「何をそんなにビビッているんだ!もっと落ち着いて!!(運転の仕方もままならない状態で、凄い交通量のある場所にでたら、そりゃービビリます)」とか。。。もー、心の中で『えっ?でも、でもー?』と、つっこまずにはいられない状況の連続だったのです。2回目の走行時、坂道発進(2回目でやりますかね?)するといった状況のときも、あまり車が来ないところで、1、2回練習して、「はい、できるね。んじゃ、次いくよ。」みたいなノリで、徐々に慣れるより、即慣れろな先生だったのです。他の教官達を見ていると、全員が全員こういうタイプではないみたいだったのですが、とにかく、私の教官は、スリルすらも楽しんでいるのではないのか?と疑わずにはいられないような、どんどん先へ行ってしまうタイプだったのです。。

そのお陰?もあり、教習所に通いだしたころは、走行中のことが色々とトラウマになったみたいで、悪夢として夢にめちゃめちゃ出ました。。まあ、でもそんな教官の厳しい指導の甲斐もあり、チェコでは一番走行が難しいと言われているプラハの街にも、慣れる(慣れたのかな?)ことができました。とはいっても、隣にトラムが走っていると怖いですし、チェコ人ドライバーは、とにかく追い抜いかしてくるのが怖いですが。。

走行も、なかなかに大変だったのですが、日本とのチェコの違いは、学科は自己責任というのが大きな違いだなと感じました。。私の通っていた教習所は週1回90分の学科授業があったのですが、それも自由参加で、基本的に自分で勉強するもので、規則をわかっていないと、教官に怒られるといった感じで。。テストは、オフィシャルに840問用意されていて、そこからランダムに選ばれた25問中、85%以上取れば合格といった感じなのです。

外国人は、テストに通訳を同席していいという特別ルール?があるので、最初この事を聞いた時、この甘い誘惑に負けそうになりました。それぐらい、外国人の私にとっては、テストの内容が難しかったです。というのも、法律用語を用いた問題で問題自体がややこしい表現で、チェコ語がわかるチェコ人をひっかけるための問題もあったりで。。。ですが、このルールがわからないと、チェコで運転するのに、自分自身にとってかなりまずいなと思ったので、けっこーー地道に勉強しました。なので、なんと学科は満点合格しましたー!!!ひゃほーー!

最終的には、840問とにかく解いて、わからない部分はチェックして、間違えた部分は、繰り返し問題を解くといった、至極、日本的なテスト勉強のやり方で乗り越えました。。久々にチェコ語のボキャブラリーが、交通の法律用語なので日常に使うことがあるのか謎ですが、めちゃめちゃ増えました。。

まあ、教習所ネタは、あげていくとキリがないのですが、日本に帰る前に免許は取ってしまいたいというのが目標があったのです。私の不安は、とにかく学科試験だったのですが、学科はパスできたのですが、、どちらかと言えば大丈夫だと思っていた走行のテストで、落ちてしまいましたーー!!

まー、試験時にミスった自分が悪いのですが、ここであえて言い訳をするのであれば、試験官が物凄く意地悪な年配の方で、結構罠をはっているタイプだったのです。。試験は、2人受験者と教習所の教官と、試験官といった構図なのですが、最初に試験を受けた青年が、開始5分も立たないうちに、試験官の罠にはまり試験終了になるという、試験の雰囲気に慣れようと思っていた私自身にとっては、度肝を抜かれる展開だったのです。。走る場所も、試験官が指示するのですが、、全然優しくないチェコ語(古く硬いお役人さん的な)で物凄くわかり辛い指示で、なんだかんだ20分ぐらいは運転をしたのですが、緊張もしていたせいか、鬼教官との走行でもやったことないミスをするといった結果で終わってしまったのです。。 試験の雰囲気がわかったので、次回はもう少し落ち着いていけるかなと思っているのですが、次回の追試?は、日本に帰ってからなので、免許が取れたらの報告が書けたらなと思います。

この夏は、教習所がメインな感じになりましたが、実は、運動不足解消のために、水泳に週1で通ったりもしていたのです。私をご存知の方は知っているかもしれないのですが、私は、全くといっていいほど泳げなかったのですが、ついに!!この夏25メートルを泳ぐことに成功しましたー!結構、本人的には嬉しいニュースなのですが、教習所のトラウマにかき消されてしまいました。。

なんだか、免許を取ろう!とか25メートル泳げるようになろう!とか、ちょっとした夏休みの宿題的なノリの生活をしていますが、仕事もちゃんとしていました。現在は、来年3月、金沢で開催予定の展示準備・製作と、今回日本へ行く理由でもある、「ゴレム」の打ち合わせのための準備をしたり、世界的に活躍されている人形劇家・沢則行氏の「セロ弾きのゴーシュ」のプルゼンのでの公演の、現地コーデイネーター?兼、劇中のチェコ語同時通訳(ひゃー!)で参加したりと、色々ありました。

ファイル 229-4.jpgファイル 229-5.jpg「セロ弾きのゴーシュ」(>web)のチームの皆さま方と、過ごした1週間は本当に刺激的で楽しかったです。著名な理学博士で、JT生命誌研究館館長の中村桂子先生(が、語りをやられました!)をはじめ、JT生命誌研究館より村田さん(も、語りを)、さらさん、セロ奏者の谷口さん、ピアノ奏者の鎌倉さん、切り紙作家の細川さん、舞台監督の高橋さん、音響の稲葉さん、プラハ・シンフォニー・オーケストラに所属している打楽器奏者の淳子さんに、人形劇作家の沢さん、また、チェコ語の同時通訳に、狂言師のオンジェイさん(台本も訳して頂きました)も入ってな感じで、本当に濃いメンバーでした。

今回初めて、自分のチェコ語をチェコ人の観客の方のイヤホンで聞いてもらうという体験をして、色々と感じ反省するところもありました。そもそも、狂言師のオンジェイさん(役者さんであり、チェコ人である人のチェコ語)と、私(外国人な上に、舞台裏の仕事をしている人)の2人での同時通訳で、聞かれている観客の方々にとって、あきらかに私が話している部分に差が出てしまっているだろうなあと。ただ、それは現地人と外国人のチェコ語の違いはどうしても埋まるものではないですが、現状の自分のチェコ語をもっと磨いていく努力を怠ってはいけないなと感じたのです。日本語堪能なオンジェイさんですら、日本在住時、日本語を普通に話せるようになってからでも、発音を矯正するための学校に通われていたみたいで、「外国語を話せる、使えるようになるレベルの80%までなら、誰でもいけるけど、80%以上越えるためには、常に努力を惜しまないことが大切。努力した分全部自分に返ってくる!」と話されていて、何年もちゃんとチェコ語という言語と向き合ってこなかった私には耳が痛かったです。これを機に、少しチェコ語を見直そう!と思いました。

その延長戦な話ですが、今回の日本滞在時、京都・瑞雲庵で開催予定の「チェコ・日本現代美術交流展」(>web)の9月12日に開催されるチェコ人のアーテイスト・トークに通訳として参加します。私自身、凄く楽しみな展覧会です!お近くの方はぜひお越し下さい!!!

写真・1 製作しています!
写真・2 この夏、大阪から従兄弟がご家族でプラハに遊びに来てくれました。そして、この歳になって、私と姉を除き8人も従兄弟がいるという事実を知ってかなり驚いたのですが、その時行ったTočník城に居た鷲。舌が凄いなと!
写真・3 プラハ動物園の白熊。。
写真・4 「セロ弾きのゴーシュ」開演前!大盛況でした!!!
写真・5 天使な姪っ子が、この夏チェコに数日間だけ来てくれました!初訪チェコです!3歳間近な彼女は、最近では、「新幹線より、飛行機のが好き!飛行機に乗って、ゆみちゃんに会いにいくー!」と言ってくれているそうです。もう背骨から全部溶けてしまう感じです。


近況報告・6月-2

ファイル 226-2.jpg一糸座さんの公演の後は、東京藝術大学大学院映像研究科アニメーション専攻の教授であり、日本を代表するアニメーション監督の伊藤有壱さんの、プラハでの講演や、大学、アニメーションスタジオ訪問等のコーデイネーターをしました。

ファイル 226-1.jpg伊藤さんとの出会いは、まだ私が東京藝術大学の大学院、在籍時(デザイン科描画造形に在籍していました☆)に、アニメーションの集中講座が開講され、伊藤さんはその時の先生だったのです。かなり、昔の話ですが、私がアニメーションを試した最初で最後の貴重な経験でした。

伊藤さんは、2012年にチェコのズリーンの国際映画フェステイバルで、最優秀アニメーションの賞と、観客賞の2冠取られました。私も、その時期、ブルノで打ち合わせがあったので、電車に揺られつつ、ズリーンまで上映を見に伺ったのを覚えています。そして、なんというか、日本の方が、ましてや、かつての恩師が、こういった名誉ある賞を取られている姿を拝見できたのは、本当に嬉しいかったです。

その時から、何かしら日本とチェコがアニメーションの世界で繋がれないかという課題がありました。

今回の伊藤さんのチェコ訪問は、そういった課題を大きく前進できる収穫あるものだったなと感じました。日本大使館が保有する広報文化センターでの講演、西ボヘミア大学アニメーション学科にて教鞭をとられている、アニメーション監督のイージー・バルタ氏や、バルタ氏を初めとする多くのストップ・アニメーションにてテクニカル・マネージャーをされている、ミラン・スバトシュ氏と対談したり、カレル・ゼマン美術館(かなり、面白いミュージアムです!)の館長さん、オンジェイ・ベラーネックさんとの対談や、FAMUの教授であり、アニメーション監督のアウエル・クリムトさんとの対談、プルゼンにあるアルファ人形劇場への訪問、チェコのアニメーションスタジオ・イアリンへの訪問、等々。。伊藤さんのチェコ滞在期間は、本当に短かったのですが、物凄く濃い内容でした。

日本のアニメーションは世界的に人気な分野ですが、これを機に、短編アニメーション、アーテイスト・アニメーションの分野で、チェコと日本が強く繋がればいいなと思いました。

また、伊藤さんの滞在中、嬉しい再会もありました。それは、伊藤さんよりオーダーされた操り人形のレンガ君との再会です!!オリジナル・レンガくんとも写真を撮らせて頂きましたー!!

本来人形劇畑の私には、出会えないような方々と伊藤さんを通して、話を伺うことができ、本当に数日間でしたが凄く充実した経験ができました。

ファイル 226-5.jpgファイル 226-3.jpgファイル 226-4.jpgそして、PQ(Prague Quadrennial of Performance Design and Space)です。1967年から、4年に1回、毎回プラハで開催されている舞台美術世界最大の由緒あるエクスポです。毎回、参加国の数は変わりますが、70カ国以上の国が参加していたみたいです。舞台美術に携わる人間だったら、絶対に1回は見てみたい展覧会だと思うのです。

4年前のPQでも現地コーデイネーターとして、日本舞台美術家協会さんのお手伝いをしたのですが、今回も同じ形で、微力ながらお手伝いさせて頂きました。

前回同様、キュレーターは、日本を代表する舞台美術家・堀尾幸男さんでした。日本ブースのコンセプトは、チェコテレビでも、取材されているので、動画をぜひ!!(>動画)

プロの舞台美術家が、武蔵野美術大学と大阪芸術大学にて舞台美術を勉強している生徒達をサポートしながら、パフォーマンスを見せるという形での展示でした。期間中、日本の学生さんだけでも40人近く会ったのではないかと思います。皆さん、本当にしっかりしていて、自分自身が学生だった頃、こんなに協調性があっただろうかと問わずにはいられませんでした。(いや、もう絶対なかったです。。)今回のPQのプロの舞台美術家さんの参加人数は、前回と比べると凄く少なかったのですが、逆に生徒さん達の参加数が本当に多くて、別の意味で刺激的でした。

そして、PQ中は本当に世界各国から大勢の演劇人がプラハへ集まりました。いったい何人の知り合いにPQ期間中に会ったのかよくわからない状態でした。その中でも嬉しかったのが、春にアメリカでプレミアを迎えた「Mysterious Lake」の演出家・芦沢いずみさんがプラハに来てくれました。かなりの日数をアメリカで一緒に過ごしたにも関わらず、ゆっくりご飯を食べることができなかったので、今回念願の夕飯をご一緒できました。

また、人形劇の世界では大大大大先輩である、人形遣いの黒谷都さんと塚田次実さんが、ポーランドのフェステバルに参加された後、プラハにも立ち寄ってくれました。お話していると、アット言う間に時間が過ぎてしまうぐらい、楽しいかったです。

なんだか、6月は、PQ効果があってか本当にお祭りな毎日でした。

現在は、前回書いた「ゴレム」プロジェクトの準備で、グフタフ・メイリンクの『ゴレム』を読んだり(面白いです!!)、金沢の展覧会のアイデアスケッチ等々をまとめたり、作品も徐々に作り始めたり、まだ書けないプロジェクトの事など色々とやっています。考えてみると、4月はアメリカと日本、5月は日本と一糸座さんのツアー、6月は、伊藤さんやPQ、3ヶ月間ほとんど家にいなかったのです。いい感じで、自分のペースをつかみなおして、製作に集中をしなければです!!!(教習所へも通い始めます。。!)

写真・1 西ボヘミア大学で教鞭をとられている、ミラン・スバトシュ氏と伊藤さんと生徒さんの写真。スバトシュ氏は、以前私がDAMUへ通っていた時の先生でもありました。

写真・2 レンガくん再会!!
写真・3 PQ!!今回のPQは会場が、プラハの中心街に点在していました。そして、PQの今回のモチーフは椅子だったみたいで、ポスターからTシャツ、様々なものが椅子でデザインされていました。
写真・4 仕込み風景。日本ブースは、アン教会でした。凄い綺麗な空間でした!
写真・5 パフォーマンス風景。日本でも今月13日から15日まで池袋で上演があるらしいです!ご興味のある方はぜひ!!


近況報告・6月

ファイル 225-1.jpgバタバタした生活が続いていました。。。

ファイル 225-2.jpg前回ブログでは、引き篭って展覧会用に製作しなければ!と書いていたのですが、この1ヶ月ちょいの間、ほとんど家にいない生活が続いていました。というのも、5月26日より、一糸座さん(旧:江戸糸あやつり人形座さんです。名前が改名されました。)のチェコ・スロバキア公演のオーガナイズをしていたので、ツアーを同行しました。そして、東京藝術大学アニメーション学科の教授であり、日本を代表するストップモーション・アニメーション監督の伊藤有壱さんの、プラハでの講演や、大学、アニメーションスタジオ訪問等のコーデイネーター等をし、その後、PQ(Prague Quadrennial of Performance Design and Space)という、毎回プラハで開催されている4年に1回の舞台美術世界最大のエクスポの日本代表、日本舞台美術家教会さんのコーデイネーターをしていました。

ファイル 225-3.jpg普段、オーガナイズの仕事をメインでやっているわけではなく、たまたま重なったわけですが、いつも引き篭って仕事をしている私にとっては、この1ヶ月でありえない数の人と会い、1日中話し続けた感じだったのでした。1年分人と話したのではないかと思います。凄く刺激的な人達に出会え、目が回るような楽しさでした!!

色んな事が沢山あったので、その時々にブログを書けなかったのは残念ですが、一つ一つ思い出しつつ書けたらなと思います。

まずは、一糸座さんのチェコ・スロバキア古典上演のツアー。

一糸座さんの公演は、5月28日にプルゼンのアルファ劇場で2回、29日にプラハのDisk劇場、31日にブラチスラバのマラー・スツエーナ劇場でありました。チェコ・プラハの公演では、在チェコ日本国大使の山川大使が、スロバキア・ブラチスラバの公演では、在チェコ日本国大使の江川大使が訪問してくれました。準備がかなーーり大変だったので、どの公演も大盛況に終わり本当に良かったなと思いました。

一糸座さんと過ごした約10日間は本当に勉強になりました。

一番に、結城一糸さんの糸操りをまじかで見ることができたことです。人形遣いとして、62年舞台に立ち続けられている一糸さんのお話は、人形を作る私にとっては、本当に貴重な時間でした。私の尊敬する人形師の中の一人に、文楽の頭を製作していた大江巳ノ助さんという方がいます。なぜだか、わからないのですが、一糸さんのお話を聞いている時は、いつも、大江氏が若い頃体験した、人形遣い・吉田文五郎氏とのやりとりを、なぜか思い出しました。人形彫り師は、人形遣いの方より人形の遣い方を学び、それを基に、製作に昇華していくものです。未熟な私にとって、一糸さんのお話やパフォーマンスは、多くのことを学べる本当に貴重な体験でした。

ファイル 225-4.jpgまた、劇団に属したことがない私にとって、10日間一緒にツアーに同行するといった経験も楽しいものでした。そして、チェコに来てから、演劇の世界に飛び込んだ私にとっては、一糸座さんは、初めての日本の劇団との関わりだったのです。もちろん、日本人とパフォーマンスを作るというプロジェクトでは、現在、北九州に住む役者・谷口直子さんと2作品制作しています。が、彼女の演劇スタイル事態が日本―チェコ的であり、純粋な日本の劇団というのは初めてだったのです。

そして、色んな日本語での演劇用語も学びました。おもしろい話ですが、チェコ語で知っているのに、日本語では全くわからないのです。また、舞台監督という、チェコの人形劇場にはないポジションの仕事についても勉強になりました。一糸座さんの仕込みの現場を仕切っていた舞台監督であり人形遣いの海老沢栄さんの指示を見て、チェコでもスロバキアの劇場裏の人達が感動していました。特にスロバキアでは、トランク3個から、舞台と人形全部出てきた時は、公演協賛をしてくれたブラチスラバ人形劇場の劇場支配人の方から「日本ミニマリズム!!」のお言葉を頂きました。

一糸さんの奥様であり人形遣いでもあり、製作等の一手に荷っている民子さん。今回のオーガナイズにあたり、半年間の間、特に1月あたりからは、本当にほぼ毎日メールのやりとりや、かなりの回数のスカイプ打ち合わせをしました。色々と状況的に難しい面にも直面しましたが、民子さんの持つ根っこの部分の性格の明るさが状況を打開していったような気がします。劇団一つの海外公演オーガナイズというのは、私自身初めての事だったので、見えないことも沢山ありましたが、今回の経験で色んな事を学んだ気がしました。

最初に一糸座さんから、ツアー・オーガナイズの話を頂いた時、日本の古典演劇をヨーロッパで上演するというのは難しいことであり、やりがいがあるお仕事だなと思いました。ただ、これが日本の古典演劇ですという一方通行な形では終わらないような、観客の方が古典を楽しめるような形にできたらいいなと色々アイデアを考えました。日本側と観客側を繋ぐ橋のような存在が欲しいなあと。。。

今回、一糸座さんの公演の成功を裏で支えてくれたのは、チェコ人で狂言師のオンジェイ・ヒーブルさんでした。オンジェイさんは、11年間京都の茂山家に師事し、チェコ・ブルノにおいてもチェコ人によるMalé Divadlo Kjógenu という狂言のプロの劇団(チェコで本当に人気の劇団です)を作ったり、NHKでも取り上げられたり、チェコで日本で大活躍している方です。そんなオンジェイさんに、一糸座さんの公演の司会進行的なものを頼みました。

ファイル 225-5.jpg狂言の世界を熟知しているオンジェイさん。古典のおもしろさをどう伝えたらいいか本当に良くわかられていて、説明が本当にわかりやすく、そのことも劇を盛り上げたと思います。毎公演後、観客の反応を見て、オンジェイさんの話す部分を変えていったのですが、一番凄かったのは、リハーサルができなかったのにも関わらず、最後にやったスロバキアでの公演では、30分の「釣女」の上演を即興同時通訳されたことです。日本人の私(と比べてもあまり意味がないかもですが。。)が聞いても、わかるような、わからないような古典の言葉を即興で訳し、さらにはおもしろかったので本当に驚きました。上演後、そのことを話したら、「狂言でも釣女はあるし、全然大丈夫だったよー」みたいな感じだったので、ホントに凄い人がいるのだなーと思いました。

今回、一糸座さんのチェコ・スロバキア古典ツアーを終え、一糸座さんとのプロジェクトは、2016年6月8日、KAATにてプレミア予定の「ゴレム」へと繋がります。チェコー日本共同制作になります!!!しかもKAATは、横浜にある劇場です!私にとっては、なんというか地元凱旋なプロジェクトです! 本当に嬉しいです!!詳細は徐々に書いていけたらと思っています。

結構長くなってしまったので、アニメーション監督の伊藤有壱さんとPQの事については、次回に書けたらと思います。

写真1 一糸さん、上演風景
写真2 一糸さんと息子の敬太さんの上演風景
写真3 上演後の風景。満員御礼でした!
写真4 上演前の舞台裏風景!
写真5 このツアーでは、音響もやっていました。ヒャー!スロバキアの劇場より


日本滞在

ファイル 224-1.jpgファイル 224-2.jpgファイル 224-3.jpgファイル 224-4.jpgファイル 224-5.jpg4月21日から5月8日まで、日本に滞在していました。以前も書きましたが、来年の3月に金沢しいのき迎賓館にて、のはちゃんこと、中乃波木さんと2人の展覧会が企画されています。今回の日本帰国は、本当に贅沢な話ですが、その展覧会準備のため、のはちゃんと能登取材旅行が目的でした。展覧会の期間はまだまだ先ですが、大きい空間です。沢山作品を作る予定です。今年抱えている仕事は、大なり小なり色々なプロジェクトがありますが、この展覧会に向けて動くのが来年までのメインプロジェクトになると思います。

私にとって、演劇現場等での仕事と、作家としての仕事のバランスは凄く大事です。

演劇現場では、一人では絶対に作り出せないものを作れるおもしろさ、大勢で作りあげるコミュニケーション過程のおもしろさ(おもしろくない時もありますが、、でもきっとそういう状況も含めておもしろいのかもしれません)、抱える仕事の量に対して期限が短かったり、内容や状況に合わせて、即興的に対応していったり。踊れないくせにこういう表現も変なのですが、状況とダンスをしているような気分になるのです。大勢で作るパフォーマンスという一つの作品が、おもしろくなるためだったら、自分の小さなこだわりとか、自我とか、いかに捨てて、全力で色んなものを取り込んで、飲み込んで、一つにまとめ上げていく感じも好きです。

私は、どちらかというと、一つのことが気になると、のめり込んでいってしまうタイプなので、そういう意味でも、演劇の仕事は、大きくやっていかなければならないので、考え方の変換や精神的にも、いいバランスになっているなと思います。日本では、ずーーーっと引き篭って人形を作っていた感じだったので、チェコで人形劇に出会ったのは、本当にプラスだったなと思っています。

と書きつつも、反面、個人の力も信じている自分もいます。大勢でなければ、絶対にできないもの。逆に、個人でなければ、絶対にできないもの。今年、前半は、「アンネの日記」と「Mysterious Lake」の2つのパフォーマンス製作に全力を注ぎました。沢山の人と出会い、やりとりをし、色んな刺激を受けました。後半は、自身と向き合い、自己表現という場に全力を注ごうと思っています。製作は個人の仕事ですが、とはいっても、今回の展覧会は素敵なアーテイスト・のはちゃんとの2人展です!!一緒に打ち合わせしつつ、おもしろい形になるよう沢山作戦を練っています!こういった形で、のはちゃんと一緒に一つの展覧会を創り上げられることを、本当に名誉に思いますし、がんばらなければー!と思っています。

展覧会期間は、14日間前後?ですが、この限られた期間、一人でも多くの方に楽しんでもらえるよう、製作に励もうと思っています!またまた、引き篭り生活の始まりです。金沢は、ちょっと遠い方も沢山いるかと思いますが、東京から、北陸新幹線のおかげで、たったの2時間半です!日帰りも可能な距離です!沢山の方に金沢に来てもらえるよう、これからもしつこく、展覧会について書いていこうと思っています。そして、少しでもご興味を持っていただけましたら、ちょっと先ですが宣伝していただけると嬉しいです!私は、北陸方面の知り合いがほとんどいない(今回、のはちゃんの金沢の素敵な友人達に会うことができましたが)ので、少しドキドキなのです。

能登の取材旅行は、本当に現世を忘れるぐらいの不思議な濃密な時間でした。私は子供の時より、家族から「雨女」の称号をもらっているのですが、雨とかもうそんなもの、忘れさせるぐらいの快晴続きでした。(金沢に帰ってきたとたんに天気が悪くなりましたが)たぶん、能登の風景は、日本人全ての人が思い描く原風景な気がします。私自身、夏休みの思い出的な、田舎に住んでいるおじいちゃんとおばあちゃんの家で過した的な、、経験が全くない家庭に育ったのですが、全く初めて接する風景なのに、懐かしさがあふれていました。心から、日本は綺麗だなと。

のはちゃんのお母さんの工房で寝泊りしていた時は、本当に「ホーホケキョ」の鳴き声で目を覚まして、のはちゃんの実家で寝泊りしていた時は、寝る瞬間まで川のせせらぎや蛙の鳴き声が聞こえていて。能登では視覚的な美しさだけでなく、耳に感じる音の豊かさも凄く良かったです。

今回の能登取材のメインは、能登を見つつ能登に住む方々に取材するといったものでした。詳細は、今後少しずつ書いていければと思うのですが、のはちゃんのオーガナイズのおかげで、本当に素敵な方々に会うことができ、沢山のインスピレーションを受けました!現在はアイデア出し段階なのですが、来月あたりから製作開始できたらなと思っています。

そして、短い期間でしたが、日本に帰れて凄く良かったです。まだ、未定ですが、次は秋頃帰るかもです。天使な姪っ子が2歳半になり、言葉を覚えだして、本当におもしろくなってきています。彼女自身も、なんだかよくわからないけど、私が家族の一員なんだろなーということを、感覚でわかってくれているみたいで。今回チェコへ帰る時、両親と姉夫婦と天使が、羽田空港まで送ってくれたのですが、2歳半でも、なんかこのバイバイは普通のバイバイとは違う!?と思ったらしく、私の名前を見えなくなるまで叫んでいて、、なんだか、これから帰る度に、別れがより辛くなるなあーと思いました。

お知らせです。半年ぐらい前からオーガナイズ準備をしていた、江戸糸あやつり人形座さん
( >web)の欧州ツアーが、今月末にプラハ、プルゼン、ブラチスラバであります。390年以上の日本最古の操り人形の伝統を継承するあやつり人形座です!代表の結城一糸さんは、5歳で初舞台を踏み、65年間人形遣いとして舞台に立ち続けられています。本当に、凄い方です!!

2015年5月29日Disk劇場 ( Karlova 26, Praha 1) にて
19時より上演。入場料は無料ですが、劇場で整理券を配布しています。
2015年5月31日 Malé scéně STU (Dostojevského rad 7, Bratislava).にて、18時より上演。
入場無料。(詳しくは web より)
2015年6月2日在チェコ日本国大使館・広報文化センターにて、18時より、講演+ショート・パフォーマンス。

プラハ、ブラチスラバにお住まいの方はぜひ!!

写真1-Photo 中乃波木 能登の見附島です。普段はこんなに引き潮ではないみたいなのですが、たまたま行った時はかなり引き潮で、かなり見附島の近くまでのいけました。見附島は、なんか鳥の楽園というか、沢山のサギが住んでいました。
写真2,3-Photo 中島 正士 のはちゃんとツーショット!能登の志賀町での写真で、世界一長いベンチがある街で、何より海岸線が綺麗なところでした。
写真4 きつね!のはちゃんの実家で撮りました。能登旅行中には沢山の動物にあいました。写真には撮れなかったのですが、のはちゃんの実家では、こうもりの来訪もありました。
写真5 うみうし??写真1の見附島の海(能登全体の海が)が本当に透明度が高かったんですが、そこで見つけたやつ。触ったらブニブニしていて、意外に動きは早く逃げていきました。。


アメリカ滞在

ファイル 221-1.jpgファイル 221-2.jpgファイル 221-3.jpgファイル 221-4.jpgファイル 221-5.jpg 5月8日より、チェコへ帰ってきています。久々な我が家な感じです。日本滞在は、のはちゃん(写真家:中乃波木さん)のおかげで、本当に濃密な時間を過ごすことができました。滞在のほとんどが、能登と金沢でしたが、それでも家族に一目会えたのも嬉しかったです。

なんというか、先月より本当に色んな事がありすぎて、感覚のパンクといいますか、少し落ち着いて自分の感情をゆっくり紐解きつつ整理しなければと思っています。

時系列的にアメリカでのことから思いだしつつ書いていこうと思います。

4月1日から17日まで、アメリカに滞在していました。2回目のアメリカ訪問の最初のハードルは、ニューアーク空港から一人で、ニューヨーク州のStony Brook大学までたどり着かなければいけないことでした。移動距離が、待ち時間も合わせると4時間以上のちょっとした小旅行だったのと、乗り換え等もあったりと、荷物も結構あったりとで、内心ちょっとビビッていました。実際は、初めて着た時に、いずみさんに空港まで来てもらった時の記憶が、ペンステーションの内部も含めて、思いのほか結構鮮明に覚えていて全く問題なくたどり着きました。大学にたどり着くまで、駅構内、切符を買う時や、電車に乗る時(スーツケースを持っていたので)など、4回「何か助けが必要?」的に、男女関わらずアメリカ人の方々が気さくに声をかけてきてくれて、ちょっとアメリカ人に対する親近感が上がったりもしました。こういった行為は、マンハッタン旅行中にも、本当に何度もあって、少しでも方向感覚をなくした感じで地図を見ていたりすると、向こうから「何か助けが必要?」的に聞いてきてくれたりで、それがその後お金をせびるとか、そういう類の下心等のないもので、気さくな挨拶にも似た感じで、いいものだなあと思いました。

アメリカ滞在の前半は、「Mysterious Lake」の準備でした。記憶が飛んでいますが、リハ(だいたい夜の10時すぎまでありました)の合間をぬいつつ、修正、彩色、仕上げに追われました。前回の滞在時は、リハの後にいずみさんが、一諸に劇場に残ってくれて明け方まで作業の手伝いをしてくれていました。ですが、今回は、プレミア直前ということもあり、演出もしつつ、パフォーマンスにも出演しつつ、プロジェクト全体を仕切りつつ、アシスタントがやるような仕事すらもこなされつつ、さらには授業でも教えたりな感じで、毎晩ヨレヨレな状態になっているいずみさん(そんな緊迫状態の時でも、毎朝トレーニングを欠かされていませんでした。。)に、これ以上負担をかけては、、と、一人で劇場に残って作業することにしました。

これが、結構怖かったのです。。まだ、チェコに来たての頃に参加した「浦島太郎」のプロジェクトでも、半月以上劇場で一人寝泊りするといった経験があるのですが、その時もけっこーー怖かったですが、なんか別の怖さがありました。

私自身、全体像をつかめていない、建物全体が本当に大きい(大劇場、中劇場や小劇場等、たぶん地下にもなんか大きな空間があるっぽい、本当に大きな建物でした)慣れない空間ということもあったのですが、作業している中劇場からトイレまでが凄く遠かったことや、さらにはさらには、守衛さんがいない上に、深夜0時までは、本当に誰でも建物に自由に出入りできて、その後の見回り等もないため、誰が建物の中にいるのか全くわからないことなどが、結構不安にさせました。作業していた劇場空間事態は、鍵を閉めることができたので、作業に集中できていればそんな怖くはなかったのですが、いざトイレへ行く時やホテルに帰る時は、ドキドキでした。護身用にカッターをポケットいれて臨戦態勢で移動していたのですが、後になって思ったのが、私自身がもしかしたら一番危険人物だったのかもなーと。ホテル側も、毎朝3時とか4時に大荷物をかかえて帰ってくるよくわからない怪しいーアジア人客に見えたと思います。。

中盤は、待ちに待ったニューヨーク観光でした!

私の勝手なニューヨークのイメージは、吉田秋生さんの漫画「BANANAFISH」の影響が凄く強いです。様々な人種がゆきかう巨大都市で、その中にも地区ごとにレキッとした民族性があり、マンハッタンという島の中に絶対に立ち入ることのできない区域があったり、、といった感じで。銃というものを所持できるという点も影響してか、日本やヨーロッパよりも、危険な街なのだろうなといった漠然としたイメージがありました。

こういう書きかたをすると、誤解を招くかもしれませんが、実際に短い期間ですが、私が垣間見たマンハッタンは、私の想像よりも数百倍安全な街に感じました。(私の想像がすさまじいものだったのかもしれませんが)地下鉄も、ワイルドな方々もいましたが、夜遅くても、女性もかなり乗っていて、日本と同じように結構寝ている人も沢山いたりして。また、遅い時間になると沢山の警官の方も見回っていました。泥棒・スリの方々は、ヨーロッパのが、多いのではないかと思いました。

ニューヨーク観光の最初は、コネチカット州のRedding住むチェコ人の友人宅に泊めてもらうところから始まりました。なんというか、アメリカ映画に出てくるような、周りが森に囲まれた豪邸に住んでいて、めちゃめちゃ可愛い子供が3人いて、英語なまりのチェコ語で会話したり、遊んだりで、凄く癒されました。色んな所に連れていってもらい、アメリカの自然が、日本やチェコとも違っていてその辺もおもしろかったです。特に嬉しかったのが、Cardinalという真っ赤な鳥を見られたことです。きれいでしたー。

そして、マンハッタン観光。

私が旅行とか、どこか知らない所へ行くのが好きな理由の一つに、初めて行く場所の右も左もわからない不安な感じからスタートして、地図と交通機関と自分の足を使って、オリエンテーションをつけていく過程が凄く好きなのです。散歩は、私の数少ない大好きな趣味の一つなのですが、同じ地域を歩いていても、できれば歩いたことのない道を歩いて自分の脳内マップを強固なものにしていきたいタイプなのです。

前置きが長くなりましたが、マンハッタンは、そんな私が楽しめるロジカルな巨大都市だったような気がします。ロジカルといいたいのは、マンハッタンの通りの名前、駅名等、最初は味気ない(「57st,」や「30av,」といった通り番号の駅名、通り名が多いのです)と思ったのですが、何日か滞在して、凄く覚え易くオリエンテーションをつけやすい!!と、後からジワジワ驚きました。

滞在したのはクィーン地区で、中国系の方々が沢山住んでいました。中国系の大手スーパーも凄くおもしろかったですし、中国人の方々であふれる食堂やブッフェも沢山あって、麺をのばしては折ってまたのばして、どんどん麺を細く増やしているやつを見ながら、らーめんを頂くのは格別で、餃子やらなんやらも、とにかく安くておいしかったです。滞在中は、中華料理やメキシコ料理ばかり食べていました。

そんな長い期間観光はできなかったのですが、一応マンハッタンの上から下まで全地域はまわれませんでしたが、地下鉄を使いつつ、要所、要所は、歩き垣間見ることができました。地域ごとに違う特色はあって、何より、時代を感じさせる高層ビルの雰囲気が独特で良かったです。

また、子供の頃見た、NHKみんなのうたの大貫妙子さんの「メトロポリタン・ミュージアム」の人形アニメーションの記憶が結構残っていて、メトロポリタン美術館に行くのを楽しみにしていました。私は、アフリカ・オセアニア・アメリカ芸術部門 が好きでした。MOMAやグッケンハイム美術館など色々と行きましたが、個人的には、アメリカ自然史博物館の恐竜の化石の展示が凄くおもしろかったです。美術館、博物館等もアメリカサイズというか、本当に大きくて、持っているものもさすが!といった感じだったのですが、それよりも、なんか街の中が、街を構成している人達が本当に見ていておもしろかったです。人種のるつぼと言われていますが、本当にその通りで、ビザ等の問題はもちろんありますが、誰もがアメリカ人になることが可能なのだなと。その辺も、日本やヨーロッパとの違いを感じました。

滞在のしめくくりは、「Mysterious Lake」の最終仕上げとプレミアでした。本当に色々と現場であり、最終仕上げの間も記憶が飛んだ感じでした。現場裏の話なので詳しいことは書けませんが、まあ、ネタになるような事が沢山ありました。いずみさんや、双子の役者、ベネッサとレイチェルがいなければ乗り越えられなかったです。プレミアを無事に迎えられたことは、本当に嬉しかったです!!4月24日にStony Brookでの公演は終わりましたが、来週はネバタ州で「Mysterious Lake」の上映会があるようです。まだまだ、「Mysterious Lake」続きます!!

長くなってしまいました。日本滞在のことも一気に書ければと思います!

写真1,2,3 マンハッタン!
写真4 Cardinal!!
写真5 アルマジロ!!!?(アメリカ自然史博物館)

 


能登・のはちゃんの旅

ファイル 220-1.jpgファイル 220-2.jpgファイル 220-3.jpgファイル 220-4.jpgファイル 220-5.jpg4月21日より日本に来ています!

今月は、アメリカ、1日半チェコ、そして日本と移動を重ねていたので、時差ぼけになるかな?と思いきや意外に大丈夫でした。そして、現在は、能登に取材旅行に来ています。というのも、来年の3月に、金沢しいのき迎賓館にて、北陸を中心に大活躍をされている写真家であり、イラストレーター、執筆までこなしているマルチなアーテイスト・中乃波木(なか のはぎ)さん(通称:のはちゃん)と、2人の展覧会が企画されているからです。展覧会の内容等の詳細は、少しずつ書いていこうと思っていますが、「アンネの日記」や「Mysterious Lake」が一段落し、これから始まるプロジェクトの中でもメインなものになってきます!

ずーっと仕事でバタバタが続いている状態が続いていた感じで、特にアメリカのプロジェクト後はヨボヨボな感じだったのですが、能登に来て、なんかもう色々と全回復している感じです。本当に凄いです!能登力。初めて見たマンハッタンの感想とか、おもしろかったこととか、沢山書きたいことがあったのですうが、もうそういった感情が能登力に全部上書きされています。。

初・能登!日本に住んでいないこともあり、日本のテレビ事情に結構うとくなってきているので知らなかったのですが、今期NHK朝ドラの舞台が、能登とのこと!しかも、内容が、東京から能登へ移住した親子の話とのこと。『ええ?のはちゃん親子のこと??』とかなり驚きました。

今回、一緒に組んで展覧会をする、中乃波木さんは、東京造形大学に在籍していた学年が同じで、専攻が違うったものの(ノハちゃんは写真専攻、私は、ななんとグラフィック専攻)、凜とした感じの立ち振る舞いも人目をひいていたし、近しい間柄ではなかったのですが、気になる人といった感じでした。学生の頃から故郷・能登の写真を撮っていて、白黒の写真だったのですが、今でもハッキリ覚えているほど、学生の頃より凄いなと感じた人の一人でした。
仲よくなったのは卒業後で、定期的に会っては仕事・製作の話中心で盛り上がったり刺激しあったりな感じの間柄でした。なので、お互いの私生活的なことはあまり知らない感じできました。

一番の転機は、2013年にのはちゃんと、のはちゃんのお母さんで、陶芸家の中十七波(なか となみ)さんがプラハへ旅行に来た事でした。(詳しくは、過去のブログをお読み下さい。2013年10月21日の欄です)それまでは、のはちゃんがアーテイストとして、女性として、しなやかな芯のある強さみたいな魅力が何処から来ているのかなと思っていたのですが、お母様と出会って本当に納得といったぐらい、お母さん・となみさんの人としての大きさが半端ななかったのです。私の人生で出会ったお母さんの中でも、となみさんのスーパーお母さんぶりはダントツ一番です。

色んなことが20年以上先取りといいますか、以前にも書きましたが、のはちゃんが小学校4年生の頃、学校では学べないことを見せようと4ヶ月アマゾンに旅へ行ったり、田舎暮らしをしたいと今から24年前に、母娘二人で、日本全国で受け入れ先を探し、唯一受け入れてくれた能登へ移住したらしいのです。その頃、のはちゃんが中学1年生で、となみさん自身は東京生まれで田舎ぐらいの経験のないまま、能登に移住し、自分でどう生活していくのか学び、現在はほぼ自給自足で季節とともに、食を楽しみ、器を楽しみ、俳句を楽しみな本当に素敵なお母さんです。

現在、「能登」という季刊誌にて、のはちゃんは『大波小波』というタイトルで連載をもっています。もう、5年間も続いているそうで、内容は、『1992年に母と二人でやってきた能登の旧柳田村。今も能登町柳田に「陶房 眠兎」を構える陶芸家の母、十七波さんと写真家になった私の能登人生記』とのこと。このエッセイと平行して、リアル能登移住ストーリーを執筆しているそうです!

能登では、となみさんのアトリエや、ご実家で滞在させてもらい、お母さんの本当に美味しすぎるご飯を頂いています。能登の海の幸も満喫していますが、今回頂いたもので、一番はまってしまったのは、今が旬らしい「こごみ」です!私は初めて頂いたのですが、本当に美味しすぎて、美味しすぎて。。

また、能登での取材のかたわら、のはちゃんと温泉へ入ったり、色々な事を語らったり、ご実家の一つのベットで2人で寝たり、なんだか、高校生以来な体験満喫です。先月、いずみさんと一諸に仕事をした時もそうでしたが、青春的体験をこの歳でまた体験しているような感じです。

写真1,2,3 能登写真!
写真4 こごみです。開きすぎるとおいしくないらしいです。
写真5 ノハちゃん!夜、庵を囲んで語り合ってる時に、「えっ?小雪さん?」ってな感じでびっくりして激写しました。すっぴんです。きゃー!


「Mysterious Lake」プレミエラ!!!!

ファイル 216-1.jpgファイル 216-2.jpgファイル 216-3.jpgファイル 216-4.jpgファイル 216-5.jpg4月1日よりアメリカに来ていて、昨日帰ってきました。

今回のアメリカ滞在は、3段階にわかれていました。最初は、「Mysterious Lake」の準備。中間は観光。後半は、最終調整と仕上げ・プレミアといった感じでした。最初の準備期間で起きた事や初めてのアメリカ観光(今回は、マンハッタンを見ることができました☆)など、色々なことがあり感情や感覚がめまぐるしく変化したり、刺激があったり、書きたいことも沢山あったのですが、結局今の感情は、プレミア直前の感情が激しいものだったので、その感覚一色になってしまいました。まずは、その感覚を書き留めておけたらと思います。

「Mysterious Lake」は、4月16日に無事にプレミアを迎えることができました。日本の劇場システムのように、4月24日の千秋楽まで一気に上演が続くようです。私は、プレミアを見届けてチェコに帰ってきました。

今回のプロジェクト「Mysterious Lake」は、今まで色んな現場での修羅場を抜けてきましたが、一番大きな戦いだったような気がします。この歳で、苦労自慢とか頑張った自慢とか恥ずかしいのですが、いや、本当に寿命を縮めるような戦いでした。。体力的、精神的、たぶん自分の製作速度等も含め限界点が見えたような感じでした。それも、これも、(やっぱりおいなりさんを食べ続けている)演出家・芦沢いずみさん自身が、イメージでは、本当にアマゾネスの女王が、相手の返り血をあびながら先頭に立って敵陣に切り込んでいるような感じで、物凄い気迫で戦われているからです。そんな姿を見ると私も頑張らねばとなりますし、何より、いずみさんが持つ力といいますか、限界を越えている状態でもやる気にさせる方法・言葉をお持ちで、なんだか記憶がない状態でもフガーって働いていた気がします。

そんな「Mysterious Lake」。

いずみさんのオリジナル戯曲なのですが、感覚的な面で近いところが結構あったので、かなりすんなり入ることができました。時間的な戦いはすさまじかったですが、製作面(アイデア出しを含めて)はかなり楽しいプロジェクトでした。やっぱり、妖怪とか凄く好きなんです。

劇中での主役の少年と、準主役の河童を、いずみさんのカンパニーから招待参加していた、双子の役者レイチェルとベネッサが演じていました。双子なので、呼吸の合い方も特別で、劇中的な意味でも、双子が演じていることで凄く強いものになっていていました。彼女達ほど練習をしている役者さん達に会ったことがありませんし、一緒に仕事ができて本当に楽しかったです。

プレミアを無事に迎えることができて、この作品に参加できて本当に良かったなと感じています。色々とキツかったですし、全く終わりが見えなかったプロジェクトですが、ちゃんと終わりまでたどり着けることができたことにも安堵感もあります。こんな状態でずっと仕事をしていたら絶対に早死にしますが、それでも劇場での仕事の変な魔力といいますか、苦しかったことより楽しかった感じが強くなってしまい、あんなに大変だったのに、やっぱり劇場での仕事は楽しいなーなんて懲りずに思ってしまっています。(劇の魅力は記録に残せない、瞬間的な打ち上げ花火のような魅力があると思うのです)

この数ヶ月いずみさんとはかなり集中的にコミュニケーションを取ってきました。プレミアを迎えて、一区切りがついたので、こういったコミュニケーションが、また当分する事はないと思うと、じわじわ寂しくなるだろうなと思います。しかも、またもや結構一諸にいたのに、ゆっくり夕飯なんかを食べる時間がありませんでした。次回、いずみさんに会える時はちゃんと、ご飯ぐらい食べられるといいのですが。

アメリカ観光についても、後日忘れないように後で書こうと思っています。

写真1 パフォーマンス風景:Photo by Rick Burks
写真2 パフォーマンス風景:Photo by Rick Burks(ホラーシーンに見えますが、結構かわいいシーンなのです)
写真3 仕上げ風景。今回一番怖かったのは劇場に一人で残って仕事していたことです。
写真4 いずみさんと、ホテル同室で寝泊りさせてもらっていたのですが、この鬼気迫る意味深なメモ書きが部屋のいたるところにあって、爆笑して思わず撮りました。
写真5 プレミア後、ヨボヨボヨレヨレな、いずみさんと私。「Mysterious Lake」で製作した自身の人形達と、いずみさんとの別れ的なシーンなのでしょうか?なぜか、わたし正座して話しているところがうけるなと思いました。


「アンネの日記」プレミエラ!!!

ファイル 215-1.jpgファイル 215-2.jpgファイル 215-3.jpgファイル 215-4.jpgファイル 215-5.jpg3月も今日で終わりです。ひゃー

アメリカへ行く前もやばかったですが、帰ってから今日まで、一山も二山もありました。。現在も、仕事的に時間的にやばい状況はかわらないのですが、明日から、2回目の渡米が待っているので、今忘れたくないこの感覚を書ければと思っています。

プラハは春らしい日差しになってきています。春好きの私にとっては、3月4月は特に好きな時期で、気分的に凄く救われています。木々が、植物が芽吹く感じが、暖かくなってきているけど、まだ肌寒い感じが好きです。そして花粉症の季節です。鼻水に目のかゆみ、今年は特にのどをやられています。春税なので我慢です。花粉症に悩みだす頃には、あー、日本はきっと桜が咲き始めているんだなー。見たいなー、見れる日はいつかくるのかなー、なんて思ったりもしています。

3月中旬は、「Mysterious Lake」の第二期納期があり、演出家のいずみさんが3日ぐらい?プラハに来られました。一緒にご飯を食べに行けると楽しみにしていたのですが、アメリカへ持っていってもらう人形達を製作しなければならず、結局何処にも行けずじまいでした。。凄く残念でした。。

そして先週末、遂に「アンネの日記」のプレミアがありました!!

私は、先々週に人形の調整、先週にゲネとプレミアとで3回、Uherské Hradištěに行きました。この、Uherské Hradiště。直通電車で行くと4時間15分なのですが、結局待ち時間などを合わせると往復で9時間ぐらいかかります。仕事の都合で、1回日帰りで行ったのですが、飛行機で座っている9時間とは別のなんか、疲れている体には、ほんとドーーーンとくる何かがあります。直通電車はワゴン車しかないタイプで、寝るのもちょっと危険で(ワゴン車で疲れきって寝てしまい何も盗まれなかったのですが、盗もうとしている方に会ったことがあるのです。。)起きているのも結構な戦いなのです。電車に座って景色を見るのは大好きなので、精神的にはリラックスになるのですが。。

「アンネの日記」が、プレミアがあったSlovácké divadlo は、人口約2万5千人程度の地方都市にあるにもかかわらず、連日劇場は観客であふれかえっている凄く人気な劇場です。さらには、昨年度は、チェコで2番目に質の高い劇を作り出しているとして表彰されていました。人形劇場とは違い、大人向けのいわゆるドラマ・演劇を見せる劇場で、キャパも380席ぐらいあり、人形劇場に慣れている私としては、結構感じの違う現場で凄く興味深かったです。私がDAMU学生の頃、担当教授だったペトル・マターセック氏が舞台美術として仕事をされた時期があり、その時「いい劇場だ!」と話されていたのを思い出しました。そして、ゾヤさんのおかげで、劇中に人形がでてくること事態ほとんどない、ドラマ中心の大劇場に、人形制作としてプロジェクトに参加できて本当に感謝です。劇場長を始め、役者の皆さん、裏方の人たち、皆優しかったです。

人気の劇場ということもあり、沢山の新聞やテレビも取材がきていました。テレビでは、少し私もしゃべっています。。>TV 緊張で顔がひきつっているのと、簡単な活用を間違えています。(takovou loutku!!)ゾヤさんのインタビューも沢山あります。私のことも少ししゃべってくれています。 >記事01,>記事02

そして、「アンネの日記」のプレミエラ。 

「アンネの日記」は、戦後70年なのと劇場の設立70周年記念事業として製作されたパフォーマンスです。最初にゾヤさんにお話をもらったのは、ちょっと覚えてえないのですが、昨年の初夏頃だったような気がします。まだ、役者・音楽・舞台美術全てのスタッフが決まっていない段階でした。毎回、ゾヤさんのプロジェクトへ参加する時は、舞台美術・衣装デザイン・人形等の製作ではいっていたのですが、今回のプロジェクトのアイデアを話している時に、「アンネの等身大人形を作る」という課題は、自分にとって凄く難しいものになると思い、人形制作のみに集中したいという話になりました。その勘は的中して、アンネは、私が今まで作ってきた人形の中で一番難しい人形でした。

人形制作という形でのプロジェクト参加だったのと、納期してから「Mysterious Lake」の仕事も沢山あった事もあり、リハを一切見ることができませんでした。これは、本当に不思議な感覚で、初顔合わせに参加して人形を渡して、次に人形調整にいった時は、ゲネ前でほぼ形ができあがっている状態でした。そして、アンネの人形もリハの激しさをうかがえる感じに、修理が必要でした。こういう瞬間に、自分の作った人形は、私の手から離れて、別の人生を歩んでいるのだなとしみじみ感じます。

台詞のチェコ語はかなり難しく複雑なパフォーマンスなのですが、チェコ語がわかる方には、ぜひ劇場に足を運んで欲しいなと思います!今回はリハを見ていなかったので、完全に観客の目で見ることができました。感想は、改めてゾヤさんは凄い演出家さんなのだなと感じました。

「アンネ」は女優さん5人がメインで、俳優さん1人は、本当に男性として象徴的に出る感じです。ゾヤさんの得意な演出方法である、ストーリーテラー方式(私が勝手に思っているだけですが)で、5人の女性が最初から最後までほとんど舞台上にでて、かわるがわる語り、アンネの人形を通して、5人の女性それぞれがアンネの持つ多面性を演じつつ、別の役もやりつつといった感じで、5人の女性と人形の感情の絡み合い方が本当に、繊細で、美しくて、ゲネでは、前半3回、後半2回涙がでてきました。こういった永遠に感じるような一瞬を見たいがために、心を、日常生活を、健康(これはよくないですが)を、、色んなものを削って製作しているんだなと思いました。

世界中に何作「アンネの日記」のパフォーマンスがあるかわかりませんが、ゾヤさんの演出した「アンネ」は、本当に繊細なゾヤさんしかできないものになったと思います。

思ったことを、ブワーと書きました。明日からのアメリカへ持っていく人形達をまだ製作中状況です。。フエー でも、1月には全くもって見えなかった終わりがなんとなく見えてきました。まだまだ、乗り越えなければいけない山が残っていますが、このテンションのままいければと思っています。

写真1・アンネのポスター!
写真2・街中いたるところにアンネのポスターがありました。
写真3・ゲネプロの時撮った写真
写真4・プレミア後の打ち上げ。守衛さんの一人が、実際のアンネの日記をモチーフにケーキをオーダーしてくれました。
写真5・電車にあった切符で折られた船。電車の窓辺になりました。私も誰かが喜んだらいいなと願って、同じようなことをたまにするので、嬉しくてつい写真を撮ってしまいました。。


「Mysterious Lake」

ファイル 210-1.jpgファイル 210-2.jpgファイル 210-3.jpgファイル 210-4.jpgファイル 210-5.jpg1ヶ月間ブログを更新できませんでした。本当に色々とあって、その時々の感情・感覚を書きとめておきたかったのですが、時間と状況と体力、精神力との勝負といった感じで、全く余裕がありませんでした。感覚を忘れないためにも、大変な時ほど何かしら書き留めておければとも思うのですが、なかなかに難しいです。

先月26日より、3月7日まで「Mysterious Lake」の人形達の第一回納期と調整と、龍頭 制作で、初渡米しました。初めてのアメリカということで、色々とドキドキしていたのですが、出発ギリギリまで仕事があり、ガイドブック的なものを何一つ見ることなく旅立ちました。

「Mysterious Lake 」は、アメリカ在住16年の演出家・芦沢いずみさんオリジナル戯曲です。いずみさんは、アメリカの名門中の名門大学Yale University School of Dramaを修了され、現在は、ニューヨーク州立Stony Brook大学にて教鞭をとられています。(詳しいプロフィールはこちらから>web)また、ご自身のカンパニーもあり活動されています。(>web)アメリカ、ヨーロッパ、イラン(これには驚きました。>web)など世界をまたにかけ演出をされています。

今回は、初めて日本人の演出家さんとのお仕事ということもあってドキドキでした。といっても、16年も在米のいずみさん。日本人といっていいものか、アメリカ人といっていいものか、両面お持ちだと思いました。メールでのやりとりは、いずみさんが英文のメールを書いてきて、私が日本語で返すといった(最初のうちは慣れない英語で返していましたが、、)不思議なやりとりでした。

秋頃スクリプトを頂き、アイデア出しをしつつ12月頃から作り始め、1月のアンネの納期が終わってからは、本当にもう、ヒャー!なペースで製作しました。アンネの人形はだいたい150センチの等身大だったのですが、「Mysterious Lake 」に登場する少年や妖怪達も、だいたいが等身大。子供とはいえ90~100センチぐらいだったので、結構大きいサイズだったということと、登場人物が多いこと、動きのシステムが、妖怪ということもあって各人形違うので、色々と試しては失敗!みたいなこともあって、結構な戦いでした。(現在進行形なので、戦い中です)

かなりバタバタな感じでのアメリカ行きだったのですが、初めて垣間見たアメリカは本当に興味深かったです。安全を考慮された作りのトイレ。誰かが入っているかわかるように、足元や頭上が見えるかんじな作りのドア。閉めきることができないトイレの鍵。強く押せば開く感じ。いたるところに掲げてあるアメリカ国旗などなど。といっても、マンハッタンはほぼ素通りだったので、ニューヨークは何も見てないに等しいのです。唯一の思い出は、「planet smoothie」というスムージー屋さんで、MEDITERRANEAN MONSTERという、どう発音していいかわからない、でもかなりおいしかったスムージーを買ったことぐらいです。しかもSサイズを頼んだのに、なんか一番大きなカップにしてくれて、(日本で見たことないようなXXXL?みたいなサイズで、サービスなのか、ただ作りすぎてしまったからなのか…)ニューヨークの印象はなんかいい感じで始まりました。さらに、そのお店では自分でカップにソフトクリームをいれてトッピングをいれて、みたいなコーナーもあって、そのソフトクリームがニューと出る機械が7台ぐらい列になっていて、冬なのに(冬だから?)女性のお客さんがひっきりなしに、アメリカンサイズのカップ(本当にドデカイ!)にニューとソフトクリームをいれてナッツやチョコレートなどのトッピングをしこたまいれて、食べる場所もなかったので、食べ歩きしながらそのまま街へ去っていく、、、みたいな、私が勝手に想像しているザ・アメリカ!みたいなシーンも見ることができました。4月にもう一度渡米予定で、その時は、マンハッタンを見れる時間を作っているので、本当に楽しみです。

滞在期間中は全日、マンハッタンから電車で2時間ぐらいのStony Brookに滞在していました。ニューヨーク州なのですが、田舎町?というか、森の中に学園都市が広がっているような不思議な所でした。

今回のアメリカ滞在での一番の目的は、もちろん人形を納め修理調整することもですが、大きな龍頭を作ることでした。一人で作るというサイズでは最大であることと、慣れない環境で作業の難しさや、道具等も不足するのでは…と、プラハにいる時から色々と想像できなくて、かなり不安でした。

最初の躓きは、材料でした。材料等は、アマゾン等でいずみさんがそろえていてくれたのですが、一番の問題はインチーセンチメートルのギャップでした。プラハから、ジョイントを木のブロックで作っていったのですが、全部サイズが違うのです。丸棒も直径2センチが欲しかったのですが、インチ表記だと0.74インチ(1.9センチ)と、微妙に違うので全部やりなおしたり、木工用ボンドの質も日本やヨーロッパのそれとはかなり違う感じだったり、(どう違うと言われると難しいのですが、アメリカの木工用ボンドは、粘着質があるかと思いきや液体質が強い感じで、貼り付けたあと間から結構たれてきて、さらには時間がたつとそのたれに粘着性が発生してきて、たれていた部分がつららみたいに固まったりみたいな。。。)Gボンド(ヨーロッパにもあります)的なものが見つからなかったりなどなど。結果的には素材を通して、国の違いを感じることができておもしろかったのですが、限られた時間で作らなければならなかったので大変でした。

滞在期間中、Stony Brookで唯一行けたのは、ホームセンターと布屋さん。それも、一回きり。。郊外型で車がないといけない感じでした。私が勝手にイメージするアメリカな感じの建物で、テンションは上がりました。ホームセンターは、どちらかといえば、日本よりヨーロッパの感じに似ているかなと思いました。(ホームセンターで買ったもので、家を建てられる感じ)じっくり見たかったのですが、時間がなかったので部分的にしか見られませんでした。布屋さんの特筆するべきところは、布がワイルドな感じで展示されているところです。私個人の経験では初めてのデイプレイで、考えてみればこっちのが、お客にとっては布のイメージが凄く伝わりやすく、雑然とした感じで清潔感は少々ないですが合理的な気がしました。

泊まった所は、大学にあるホテルといわれていたので、チェコ的な簡易なゲストルームを想像していたのですが、なんとHilton Garden Inn(Hiltonが始めた中級クラスのホテルとのことですが、チェコ的には4つ星クラス以上の素敵なホテルでした)でした。滞在中は、ホテルー劇場学部―ワン・センターの3箇所をグルグル回るといった感じでした。このワン・センターは、中国人卒業生のワンさんが出資して作った建物で、中にギャラリーやアジア系(中華、韓国、インド、日本―お寿司的な、鉄板系)の食堂がありました。このおかげもあって、アメリカの食事・ザ・ファーストフード!みたいなのは、嫌だなあーと思っていたのですが、かなり救われました。メニューも日ごと変わるので、私は色々と試したのですが、おもしろかったのは、まー、いずみさんが、毎日おいなりさんを食べていたことです。私も偏食がちですが、いずみさんは、毎日1食は必ずおいなりさんを食べられていて、凄い日は、昼・夜おいなりさんコースみたいなのもざらにありました。(まあ、影響の受け易い私は、滞在後半は、1食おいなりさんコースになっていましたが。。)こんなに、おいなりさんしか食べない人に出会ったのも初めてですし、その影響もあってか、だんだんと狐の化身(妖怪のお話を作っているので)にも見えてきたりもしました。

そんな、演出家いずみさん。

いずみさんは、私のイメージでは、狐の嫁入りの狐が化けた女性といった神秘的な感じもある一方、戦う女戦士アマゾネスといった両極面も持った感じの印象を受けました。まず日本人で、Yale大学の演出科を卒業できた人事態、いずみさん以外いないのではないかなあと思いますし、アメリカで女性一人で、演出家として演劇現場でバリバリやっている感じな方もそうはいないなあと思うのです。演出家ゾヤさんもですが、憧れる本当にかっこいい女性です。

アメリカ滞在中、朝から早朝までずっと一緒に仕事をしてくださり(作り物の手伝いをです。。)、演出家さんがこんなに手伝ってくれることも初めだったのですが、本当にずーーーーっと、よくテーマがなくならなかったなというぐらいお互いに話を沢山しました。その中で、いずみさんの経験談なんかを聞くと、もっと頑張れるなあ、頑張りたいな!というか、いいエネルギーを沢山もらった気がします。

また、人とこんなに長い間、集中的に話をすること事態、中高校生の頃、部活が一緒だった友人達と何をあんなに話していたのかわからないような感じの、とりとめとなく話し込んでいた時間に似た不思議な時間でした。アメリカ・チェコ・日本の話、演劇の話、妖怪とか、宮崎駿さんのアニメや、およそ人に話したことすらないのでは?といった具合の感覚的な感情の話や、「Mysterious Lake」の主人公が少年Danielということもあり、子供時代のかなり細かい部分の思い出話から現代までといった、、睡眠時間がかなり削られていたのですぐ寝るべきところも、ホテルに戻ってからもさらに話し込んでしまったりと、本当に濃いーーーー時間でした。

アメリカ来るまえに抱えていた、色んな感情を全部浄化された上に、モチベーションを上げられた感じになりました。

!!!

書いていて思ったのですが、これも演出家さんのなせる業なのかもしれません。

今の感情をどわーと書いてみたので、とりとめもない文章になってしまいました。まだまだ「Mysterious Lake」は、一山二山越えなければなりません。来週には、いずみさんがチェコに来るので、それまでに色々と仕上げなければです!!!ひゃー

写真1・「Mysterious Lake」の人形の一部
写真2・Stony Brookで見たカナダ雁、凄く大きくて綺麗でした!
写真3・布屋さんの感じ。雑然としていますが、布の感じは見やすいです。
写真4・龍頭作り途中
写真5・龍頭作り途中。。実質6日間で作りました。


近況報告・2月

ファイル 209-1.jpgファイル 209-2.jpgファイル 209-3.jpgファイル 209-4.jpg先日パフォーマンス「アンネの日記」のアンネの人形を納めてきました。作るのも大変でしたが、等身大だったので持って行くのも大変でした…。人形に見えないよううまく包んでいったのですが、気がついた人には、想像通りの顔で驚かれていました…。(プラハから直通の快速電車に乗り4時間ちょっとかかりました…。)

「アンネの日記」は、プラハから300キロぐらいスロバキア国境に近い街・uherske hradisteにあるslovacke劇場(>web)で上演されます。プレミアは、3月28日で、今月の11日に顔合わせがありリハーサルがスタートしました。演出家は、ゾヤ・ミコトバーさん。舞台美術は、マリエ・イラースコバーさん(ゾヤさんと同じくJAMUの教授で、舞台美術学科でも教鞭をとっています)です。イラースコバーさんは旦那さんと共著で、チェコの人形についての素晴らしい本「Loutka a Moderna」を出版されていて、いつか会ってみたいなと思っていたので、こうして現場で会えて凄く嬉しかったです。私は、人形制作として参加しました。

アンネの人形は、色々な意味で難しかったです。一番には、現実に存在した人をモチーフに製作しなければいけなかったということでした。そして、彼女の生きた運命、性格、考えや哲学、彼女の持つ内なる強さ、リアルアンネを作るという方向よりは、そういった彼女の存在が象徴的に表現できればいいなあー、、といった事を考えながら作りました。

等身大の人形を作るのは、パフォーマンス的には4作品目で、これまでの経験・反省点を活かしつつ、改良点、新しく考案したシステム等をかなり織り込めたのではないかと思います。 また、アンネという生命の重さを表現するために、できるかぎりの部分で木材を使って作りました。そのせいもあり、重量が結構いってしまったので、リハの経過を見て軽量化していこうと思っています。

それにしてもアンネ、アンネです。彼女には、かなりのエネルギーを、心を、感情を吸い取られた気がします。今は、私の手から離れ、劇場のカツラを担当している人と衣装縫製をしている人の手に渡り、寂しくもありちょっとホッとした面もあります。どんな劇になっていくのか、凄く楽しみです。

少しブレイクしたいところですが、「Mysterious Lake」の期限が差し迫っています。今月末は、初ニューヨークです!!それまでに越えるべき山が結構あるので、気を抜かずに製作に集中しなければです。

お知らせが一つあります。私がDAMU(チェコ国立芸術アカデミー劇場学部)に在籍していた時の、劇人形の彫り・人形のシステムの授業教えていたヤロスラフ・ドレジャルさんが、東京飯田橋のパペットハウスで、ミニ展覧会が開催されています。(>web

ドレジャルさんは、チェコを代表する木彫造形作家の一人です。その豊富な経験値という点でも、ドレジャルさんを超えるチェコ人の彫り師はいないと思うのです。チェコの人形劇現場では、舞台美術家が舞台とともに人形のデザインをするケースが多いです。なので、大きな人形劇場には、人形を作る環境を含めた工房があります。ドレジャルさんは、そういった人形劇場の中でも世界的に最も有名な人形劇場の一つ、DRAK劇場(のさらには黄金時代だったとき)の工房で24年間、人形制作、人形のシステム部門の責任者をやっていたのです。意外と知られてないですが、伝統的とされているチェコの木彫人形の基礎ルールの中に、ドレジャルさんが考案したシステムが結構あるのです。

チェコの人形史において伝説的な存在である、舞台美術家・木彫造形作家フランテイシェック・ビーテック氏の下で働き、私のDAMU時代の教授であり、チェコの人形劇が世界的に有名になる起因となった舞台美術家ペトル・マターセック氏や同じくDAMUの教授であり舞台美術家パベル・カルフス氏、DAMUの教授であり舞台美術家だった故アロイス・トマーネック氏などチェコを代表する舞台美術家達のデザイン画をもとに、舞台人形を製作していたのはヤロスラフ・ドレジャルさんです。また、個人としても、舞台美術家として多くのパフォーマンスを作られています。例えば、カルフスさん演出でリベレッツのナイブニー劇場で上演されている「Jak chodil Kuba za Markytou」や「Tři přadleny」などの劇を製作されています。Youtubeでパフォーマンスを見つけました。(>video・1>video・2

多くの天才達と共に働いてきたドレジャルさん。個性あふれる舞台美術家達のデザイン画を現実に人形として創り上げていたにもかかわらず、自分のスタイルを全くもって見失わない強い個性がありました。というのも、ドレジャルさんは、毎日の落書きを欠かさないのです。昔のファックス用紙に永遠に描き続けられているシュール・レアリズムならぬ、ドレジャリズムの世界。

そんなドレジャルさんの人形が、東京・飯田橋のパペットハウスさんでご覧になることができます!展覧会期間は、2月28日までだそうです。お時間のある方は、ぜひご覧いただけると嬉しいです!

写真1・冬の心の拠り所。毎週固形のえさを2個づつ近所の公園にしかけています。シジュウカラの近縁のParus majorが食べている姿を見るだけで、何か幸せな気持ちになります。
写真2・アンネ!!
写真3・アトリエのドレジャルさん。コーヒー飲めない私には毒に近い、物凄い濃いコーヒーを飲みながら、アイデア出しをする机です。
写真4・ドレジャリズムのアイデアスケッチ


Page