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近況報告・11月

ファイル 234-3.jpgファイル 234-5.jpgファイル 234-2.jpgファイル 234-4.jpg11月も後半期に入り、例年のプラハにしては暖かい秋が続いたのですが、グッと冬の気配が深まって来ました。先日、初雪にもお目にかかれました。

先月より今月の中旬あたりまでは、製作に集中できました。中旬から、1週間強は、プルゼンで開催された今年10年目のアニメーション・フェステバル「Animanie」の通訳やアテンドなどをしていました。今年は、プルゼンが欧州文化首都の年だったので1年を通して、本当に色んなイベントが開催されていたこともあり、私も今回で3回目のお仕事・プルゼンでした。

「Animanie」では、前半は横浜で漫画教室を開かれている松田育夫さんのワークショップの通訳やアテンド。3日間で集中して漫画の基礎を学ぶといった内容でした。小学生の頃から、高校生の頃(おそらく同級生だった人には驚きかもしれませんが…)までは、ホントに誰に見せるわけでもなく一人で延々と漫画を描いた過去を持っているのですが、プロのHow to的なものに触れたことはなかったので、テクニック的なレクチャーも見れて、凄く面白かったです。参加者のチェコ人の子達も凄く絵が大好き!な子が集まって、お昼休みもありましたが6時間のワークショップを、休憩なしで取り組んでいました。3日間参加者が全員欠席もなく基礎練習にはじまり、2ページの漫画をペン入れも含めて完成させていく過程は、凄く見ていて楽しかったです。

後半は、「Animanie」のアニメーション・フェステバルのトリ、アニメーション監督の山村浩二さんと伊藤有壱さんのアニメーション上映でした。観客の反応も凄く良く、いい感じの盛り上がり方でした。

上映以外でも、プルゼンでの上映の前日に、FAMU(プラハ芸術アカデミー映像学科。ちなみに、AMU・プラハ芸術アカデミーは、DAMU・私が修了したプラハ芸術アカデミー演劇学科、それにHAMU・プラハ芸術アカデミー音楽学科の3学部より構成されています。)と、プルゼンにある、イージー・バルタ氏が教授をされている西ボヘミア大学のアニメーション学科と、ズリーンにあるトマーシュ・バチャ大学のアニメーション学科でも、山村さんの講演がありました。

このフェステバルのオーガナイズをし、アルファ人形劇場のトップもやっているヤコブ氏より、プルゼンの仕事は依頼されたのですが、今回の一番のネックは、山村さんのFAMUとトマーシュ・バチャ大学での講演の通訳でした。スタジオ訪問や談話等での通訳などは今までもやったことはあるのですが、90分の講義を通訳はしたことがなかったので、ましてや初めての経験で、山村さんの講演の通訳というのは、ハードルが高すぎる!!と。また、わざわざ日本から来られる山村さんの講演を私の通訳一つで台無しにしてしまっては!!!と、物凄い冷や汗ものでした。(当日、逃亡したくなりました。。)

前々に、山村さんの講義に使われるスライドとテキストを送っていただき、頂いたものを読み込むこみ、山村さんのアニメーションを沢山鑑賞し、準備をしていった感じで、なんとか乗り越えました。内容が物凄く勉強になったので、語彙力の問題や自分のチェコ語の能力は置いておいて、変な話ですが準備は凄く楽しかったです。

時間の問題、想像と現実、アイデンテイテイー、作品のコンセプト等々、色々な内容で感銘を受けました。一番純粋に凄いな!と感じたのは、原画はほぼお一人で描かれているとのお話でした。個人が生み出せる世界の絶対的な強さを目の当たりにできて、自分を同じ土俵に考えてしまうのはおこがましいですが、自身の製作活動に励みになりました。

山村さん、伊藤さんとご一緒したのは丸3日日間だったのですが、3日目などは、ズリーンでの講演のため、1日でプルゼンーズリーンを車で730キロ往復移動したり(そんな遠くまでいったのに、ズリーンの街を何も見れないという結果でしたが。。)、プルゼンープラハの移動も含めて、短い滞在期間ながらに凄い移動距離でした。。

ファイル 234-1.jpgそして、個人の製作としては、色々なプロジェクトが色んな速度で絡まっている感じです。

一つ大きなお知らせは、2016年3月3日より、写真家・中乃波木さんと開催予定の展覧会のオフィシャルホームページができました!!!www.nohayumi.comです!ぜひ、お時間がある時にのぞいてみてください!

nohayumi.comの方は、のはちゃんも、写真を始め、ブログ等定期的に更新されています。展覧会開催までの経過などをお知らせできればと思っています!!どうも、ブログを書こうとすると、最近の傾向は、長くー長くーなってしまうのですが、nohayumi.comの方では、さくさく爽やかなものを頻繁に上げていくをこと目標にしています!!

写真・1 秋のプラハ。今年は凄く綺麗でした!
写真・2 漫画・ワークショップ風景。机にかじりついて絵を描く感じは万国共通だなと。
写真・3 秋のプラハ。月も空も綺麗でした。
写真・4 FAMUアニメーション学科の学部長でもあり、アニメーション監督のミハエラ・パヴラートヴァーさんと、山村さんと伊藤さん。昼食時に撮りました。
写真・5 プルゼン最終日。初雪が降りました!


近況報告10月・2

ファイル 233-1.jpgファイル 233-2.jpgプラハは肌寒いですが、いい季節になっています。空気がピリピリして。家の前のプラタナスの落ち葉も凄く綺麗です。

9月・10月と、日本も含めて移動の多い日を過ごしてきましたが、やっと落ち着いて製作に集中する日々を送っています!もっと、上げていけたらと思いますが、ペースは悪いほうではないと思います。

10月初旬―中旬は、写真家(イラストレーター・執筆家)中乃波木さんこと(のはちゃん)とプラハで過ごし、2016年3月に金沢にて開催予定の展覧会の準備を色々としていました。一緒に過ごした時間は、本当にアッという間にでした。私とのはちゃんは、仕事・表現・人生に対する哲学とか意識は結構似ているのですが、好みとか性質とか視点とか、色んな意味で真反対で、そういうやり取りも凄く楽しかったです。今回も沢山刺激を受けましたし、自分自身気づいてないことも、沢山気づかされました。

のはちゃんは、今回の訪チェコが2年ぶりで2回目。私も、去年金沢へ、今年の春に、能登・金沢へ行っているので2回。そんな、お互いが行き来している交流も含めて展覧会のコンセプトになっています。展示詳細は、徐々に書いていけたらと思っています。

そして、今回は、執筆活動もしているプロのはちゃんが、私のブログのためにエッセイを書いてくれました!!!自身のことも書いてもらっているので、ちょっと気恥ずかしい感じもありますが、読んで頂けると嬉しいです。ひゃーー

ファイル 233-3.jpgのはゆみチェコ道中』文・中 乃波木

10月頭の横浜に始まり、チェコ、ポーランドに渡る数週間を共にする中で、私達の間ではよく名言が飛び出しました(お互いがそれは名言だと言っているだけですが)。

なかでも、「自分には羊みたいな角があって、研いで磨いていないと丸くなってしまう気がするんだよ」。未年で牡羊座で名前にも未がつく、なんとも羊に縁のある林由未(ゆみちゃ)が言った言葉は、私の中でストンと腑に落ちました。いえ、ストンどころじゃなく、ドスンでもまだ足りないくらいに。

なぜなら、私にはゆみちゃが作る人形はいつも、人というよりも生き物のように見えて、擬人化された動物のように見えて、そこのところが私がゆみちゃの表現に惹かれ続ける理由だからです。動物だけではなく、妖怪や魔女のようにも見えるその様態は、「角がある気がする」ゆみちゃ自身の生き物らしさにイコールのように繋がって、どすんときたわけです。

私は昔から、リカちゃん人形やフランス人形といった人形は好きになれず、動物のぬいぐるみが大好きでした。人間よりも動物の象形に癒され、憧れを持ち、そばにいたいと思ったからです。人にも角があればかっこいいのに、しっぽがあればかわいいのに、とよく思っていました。

それからこの癖は今ここで初めて暴露しますが、出会った人にも気になる人には干支を聞き、そこからイメージして覚えます。戌年なら犬のような耳をつけ、巳年なら蛇の目のような鋭さを想像し、辰年なら強い野心を想像します。なんというか、人の中でも○○類のように動物成分がそれぞれあるような気がするのです。

そんな二人が揃ったせいか(おおざっぱな括りですが)、チェコでは不思議といろんな動物達に遭遇する事ができました。
白鳥、馬、牛、羊、ビーバーにまで!

ファイル 233-4.jpgファイル 233-5.jpgブルノという美しい町のラドスト劇場・人形博物館では、2012年からずっと上演されているゆみちゃが舞台美術を手がけた「おやゆび姫」を子供達に混ざって見ることができました。そして、劇中でも様々な生き物に出会えました。

美しい花から生まれた小さな女の子の物語「おやゆび姫」(アンデルセン作)は、日本でも馴染み深いお話です。小さくか弱く、一人では遠くに行くこともできないおやゆび姫の運命は、周りにいる動物達によって大きく動いてゆきます。

ヒキガエルに誘拐され、魚に助けられ、黄金虫に誘拐され、のねずみのおばさんと一緒に暮らし、もぐらと結婚させられそうになったところをツバメが花の国へと連れて行ってくれる。私達人間がもしも親指姫くらいに小さかったら、こんなふうに動物達にゆだねる運命もあったかもしれないなと、絵本で読んだ時には感じられなかった体感がありました。

きっと、いつの時代も世界中の子供達が絵本からいろんなことを学びます。私にも思いやることの大切さや罪と罰、命の大切さまで絵本の物語は教えてくれました。それでも、知っている物語でもこうして人形劇になって言葉を発し動き、飛び回り、みんなで見ることで知る実感は、チェコならではの物語との出会い方だなと感じます。子供達の本気の視線、驚き、笑いは、今の時代の3D映像でもできない体感をしている時の臨場感でいっぱいで、やっぱり、生き物らしい顔をしていました。

年齢も国籍も生き物の境界も超えたところにあるのがパペット(操り人形)なのかなーと、なんだか益々生き物に、人生に、興味が湧いたチェコ道中でした。

3月3日から始まるのはゆみ二人展も、乞うご期待ください。

写真・1 今回、写真家ののはちゃんを被写体にかなり沢山写真を撮りました!写真を撮っている時ののはちゃんは、完全に狩人の目です!
写真・2 Photo by 中乃波木
写真・3 Photo by 中乃波木 ヴォルタバ川にビーバがいたんです!!
写真・4 Photo by 中乃波木 親指姫の上演風景!
写真・5 Photo by 中乃波木 上演中の子供達!!!


近況報告・10月

ファイル 230-1.jpgファイル 230-2.jpg先週プラハに帰ってきました。プラハは、寒いです!!

現在の気温2度。。 
冬は嫌いではないのですが、いつものことながら、秋が短すぎです。

日本滞在は、合計25日だったのですが、今回の日本滞在も忙しない感じでした。今年は、なんだか移動が多い年で、日本滞在期間中、羽田空港へ8回も行きました。あっと言う間に日にちが過ぎたようにも感じましたが、思い起こすと物凄く濃い毎日でした。

現在は、来年3月に金沢しいのき迎賓館で、一緒に展示をする写真家・中乃波木さん(のはちゃん)が、チェコに来ていて、撮影や企画をつめたりと、毎日楽しく忙しなく動いています。日本での出来事が、のはちゃん効果で記憶が上書きされつつありますが、忘れないうちに、日本滞在であったことをブログに書き留めておければと。。

今回の渡航の目的は、来年6月にKAAT(神奈川芸術劇場)にてプレミア予定、人形劇団・一糸座さんプロデュースの日―チェコ共同制作「ゴーレム」の打ち合わせでした。演出家のゾヤ・ミコトバーさんも、初訪日でした。ゾヤさんは1週間の滞在だったのですが、ホントに朝から晩まで一緒でした。

今年の初め、ゾヤさんとは3泊4日でオランダに「アンネの日記」(余談ですが、10月22日に「アンネの日記」がプラハのドロウヘー劇場 で上演があります!プラハ在住で、チェコ語がわかる方は、ぜひーー!!!)の取材旅行に一緒に行ったのですが、その時も本当に貴重な時間を共有させてもらったのですが、今回は日本で1週間。「ゴーレム」のアイデアの話から、日本の話など、1日中ずーーーーっと話をしていた感じでした。

東京の大きさと人の多さに、ゾヤさんもちょっとお疲れだったので、唯一オフだった日に、鎌倉散策でもできたら。。と思っていたのですが、その日に限って、土砂降り(ホントに雨女なのです。。)で、江ノ島水族館に行きました。海のないチェコに生まれたゾヤさんも凄く喜んでくれました。私も江ノ島水族館は初めてだったのですが、凄く良かったです!

ファイル 230-3.jpgゾヤさん滞在中は、一糸座さんの事務所兼稽古場を見に行ったり、KAAT(凄く素敵な劇場でした!!)の下見へ行ったり、打ち合わせしたり、一糸座さんの公演を観劇したりと、色々とありました。メインは、今回「ゴーレム」で共同演出される、演出家・天野天街さんと演出家ゾヤさんとの打ち合わせでした。なんというか、お二人のやりとりの通訳をしていて感じたのは、プロのテニスプレイヤーの試合のようだったなと。意味がわからないかもですが、言葉のやりとりのラリーが本当に鋭くて、息がズバッと合われていて。そんなやり取りを繋いでいる私は黄色いボールだったわけですが、打ち合わせ後、スポーツをした後のようなヘロヘロ感がありました。いい感じで打ち合わせができたので凄く良かったです!

プレミアは、来年6月で、ここからスタートといった感じです!私は、チェコ側、日本側の人形制作で参加します!色々大変だと思いますが、いい作品になるよう頑張りたいです!

また、今回のゾヤさんの日本滞在で、個人的にかなり大きな思い出になったのは、「Jazz Art せんがわ」にパフォーマーとして、ゾヤさんと参加したことです。Jazz Art せんがわ屏風&公園イベントのキュレーターをやっている舞台美術家であり、アーテイストの長峰麻貴さんから、「パフォーマーとしてフェステバルにでない?」と、いった感じでサラリと誘われ、私自身、パフォーマーじゃないのだけども?という流れになったのですが、なんやかんやで参加する方向になったのです。その話を、ゾヤさんにしたら、「いいよ。日本のフェステバルおもしろそう?!」みたいな、ノリな返事を頂いたまでは良かったのですが、そこからが大変でした。

今まで、ゾヤさんとは、多分合計したら、何十時間にも及ぶのではないかといったぐらい、様々な作品の打ち合わせをしてきましたが、ゾヤさんと実際に動いてリハーサルをするなんていう経験はなく、ましてや、舞台上に立ったことのない私が、ゾヤさんと一緒に何かを演じるという事は、本当に高いハードルでした。そんな私のレベルの低さまで、ゾヤさんは降りてきてくれて、一緒にできたことは、舞台美術家として一緒にお仕事している時とは、全く別の嬉しさもあったのですが、もっと動ければとか、自身に対する歯がゆさも沢山あったりな感じで、一生忘れることのない時間でした。

演出家としてのお仕事をメインでされているゾヤさんですが、役者さんとしてもご活躍されています。現在は、ブルノで一番由緒ある劇場・husa na provazkuの、「Babička(おばあやん、チェコで人気のタイトルです)」の、準主役を演じられています。( >web)

日本滞在中は、1泊2日で京都にも行けました!チェコ・日本現代美術国際交流展( >web )のオープニングで、チェコ人アーテイストによるトークショーの通訳をしました。京都の日本家屋に現代アートという組み合わせもとても素敵でした。10月25日まで開催予定なので、京都周辺にお住まいの方はぜひ!!

また、個人的に京都で嬉しかったことは、通訳の仕事が終わった後、大学院時代の同期とご飯に行ったのですが、そこにたまたまその同期の友人(京都・伏見人形を唯一作っている「丹嘉」の八代目!)がいて、次の日工房をお邪魔させてもらえたことです。江戸時代から使われている原型・土型は本当に圧巻で、本当に素敵な人形も沢山あって、郷土玩具好きな私としては、ホントにホントに貴重な体験でした!!

ゾヤさんが、チェコへ帰られてからは、打ち合わせや、友人に会ったりとバタバタしました。

ファイル 230-4.jpgチェコに帰る直前は、九州へも行きました。なんか、最近、日本へ帰ると行っているような気がする小倉です。役者・谷口直子のソロ・パフォーマンスの立ち上げをちょっとだけお手伝いしました。 (>web )

ファイル 230-5.jpg九州の後は、ソウルに1泊2日で行きました。

色んな目的がありましたが、メインは、DAMU(チェコ国立芸術アカデミー、劇場学部)で、1つ上の学年に在籍していたスーホが立ち上げたパズル劇場( >web )を見に行くことでした。スーホは、もともとは舞台美術家だったのですが、以前より演出をこみで人形劇を作りたいと言い続けていて、様々な作品で演出等も手がけだしていたのですが、パズル劇場では、演出、舞台美術、さらには自らが演じるといったパフォーマンスで、とにかくスーホワールド全快でした。

演劇は、コミュニケーションの間から生まれるものだと思うのです。特に自分が考えているアイデアも誰かと話すことで、よりおもしろいアイデアが浮かんだり、別の視点が見えてきたり。

DAMU時代、一番パフォーマンスのアイデアについて話しあったのは、スーホでした。その時々で、関わっているプロジェクトの話や、作ってみたいパフォーマンス等々。そして、「骨」とか「クリスマス」といったお題を決めて、ショート・パフォーマンスを作るとしたら自分ならどういう劇にするかという感じの話もよくしました。スーホが作ったパズル劇場のパフォーマンスは、その頃に話していたものも、現実にパフォーマンスになっていて、凄くおもしろかったです。本当にいい刺激を受けた2日間でした。

ソウルの後は、写真家・中乃波木さん(のはちゃん)と合流して一緒にプラハへ来ました。詳細は、ポツポツ書いていこうと思っていますが、展覧会に向けて色々と準備をしています。明日は、ポーランドです!!

写真・1 KAAT下見!
写真・2 「Jazz Art せんがわ」にて
写真・3「丹嘉」で型取りを体験させてもらいました!!
写真・4 谷口直子の新作立ち上げ風景。人形は、ドレジャルさん!!
写真・5 パズル劇場の前で。ソウルの原宿的な地域にあるで、ソウルへ行った際はぜひー!金曜日と週末、上演があるみたいです。


近況報告2015年夏

ファイル 229-1.jpgファイル 229-2.jpgファイル 229-3.jpgバタバタした生活が続いています。。

しかも、なんと今日これから日本に向かうといった感じです!!

今年のプラハの夏は、記録的な暑さでした。私は築100年以上経つ家に住んでいるのですが、古い家は壁が厚い(60センチぐらいある!)おかげもあり、夏はクーラーなしでも結構快適に暮らせる感じなのです。どんなに暑い日でも、夜になるとひんやりして、寝苦しいということはあまりなかったのですが、今年の夏は、夜になっても熱帯夜になるような暑さで、熱帯夜を体験したのは、チェコに住み始めてから初めてでした。扇風機も、毎年1、2週間ぐらいしか活用されていなかったのですが、今年は大活躍でした。

前回のブログ更新から2ヶ月以上経ってしまったのですが、この間、ブログ書こうかなと思ったこともあったのですが、結局のところ書けなかったのには理由があったのです。というのも、製作・仕事等色々あったのですが、この夏、教習所に通いだした事が、私の精神を、かーなり、すり減らしてくれたのです。。まあ、大げさですが、日本で免許を取らなかった過去の自分をそこそこ恨みました。。

教習所へ通いだしたのは7月中旬で、その頃、感じた(凄い精神状態だったと思うのです。。)ことを、一度ブログの下準備的な文章を書いたら、全部、教習所に対する恨みつらみ、愚痴的なものになってしまい、これは、試験が終わって、精神的に整理がついてからブログを書いた方がいいなと感じたのです。。

チェコの教習所。

日本のテーマパークのような?練習所がないので、どういうペースでいくのかなと思っていたのですが、案の定、最初から公道でした。最初のレッスンでは、2人初心者の生徒を前に、教官が車の中で、運転の仕方教えてくれるものでした。ちなみに、ヨーロッパはマニュアル車が主なので、マニュアル車の免許を挑戦しました。次の回から、個人レッスンで、前回教えた通りに、じゃー、走ってみよう!みたいなノリで。。(チェコ人の友人達から聞いた話では、教習所によっては、まず、実際の車ではなく、ゲーム的な車で練習したり、大きめの駐車場で運転練習してからスタートするところもあるようなのですが。。)

私が通っていた教習所は、自宅から徒歩範囲で、時速30キロ制限のある地域なのです。だからって、初心者で、しかもマニュアル車で、人が結構歩いていて、いきなり車が一時停車したり(お店が一杯あるので)な街を、エンスト起こしまくりながら、何がブレーキで、何がギアなのかもよくわかっていない人が、右側から来る車が優先だから、のアドバイス一言で90分走ったのは、メチャメチャ怖かったのです。。 2回目の走行では、普通に交通量の多い公道で、(プラハに在住の方想像してください!!!)パルモフカのあたりから、クレイツァーレックへ抜け、スポヨバツィーを通って、プロセックの方へ行くといったもので、ほとんど自殺行為に近いものだったのです。。

なんというか私の教官は、いわゆる日本的な鬼教官とは違ったですが、まーなんか、厳しい方で、この自殺行為に近い走行中も「もっと、未来を予測(予測するもなにも、全て目の前で起きている事が初めてなのですが。。)して走らなきゃだめだ!」とか、「何をそんなにビビッているんだ!もっと落ち着いて!!(運転の仕方もままならない状態で、凄い交通量のある場所にでたら、そりゃービビリます)」とか。。。もー、心の中で『えっ?でも、でもー?』と、つっこまずにはいられない状況の連続だったのです。2回目の走行時、坂道発進(2回目でやりますかね?)するといった状況のときも、あまり車が来ないところで、1、2回練習して、「はい、できるね。んじゃ、次いくよ。」みたいなノリで、徐々に慣れるより、即慣れろな先生だったのです。他の教官達を見ていると、全員が全員こういうタイプではないみたいだったのですが、とにかく、私の教官は、スリルすらも楽しんでいるのではないのか?と疑わずにはいられないような、どんどん先へ行ってしまうタイプだったのです。。

そのお陰?もあり、教習所に通いだしたころは、走行中のことが色々とトラウマになったみたいで、悪夢として夢にめちゃめちゃ出ました。。まあ、でもそんな教官の厳しい指導の甲斐もあり、チェコでは一番走行が難しいと言われているプラハの街にも、慣れる(慣れたのかな?)ことができました。とはいっても、隣にトラムが走っていると怖いですし、チェコ人ドライバーは、とにかく追い抜いかしてくるのが怖いですが。。

走行も、なかなかに大変だったのですが、日本とのチェコの違いは、学科は自己責任というのが大きな違いだなと感じました。。私の通っていた教習所は週1回90分の学科授業があったのですが、それも自由参加で、基本的に自分で勉強するもので、規則をわかっていないと、教官に怒られるといった感じで。。テストは、オフィシャルに840問用意されていて、そこからランダムに選ばれた25問中、85%以上取れば合格といった感じなのです。

外国人は、テストに通訳を同席していいという特別ルール?があるので、最初この事を聞いた時、この甘い誘惑に負けそうになりました。それぐらい、外国人の私にとっては、テストの内容が難しかったです。というのも、法律用語を用いた問題で問題自体がややこしい表現で、チェコ語がわかるチェコ人をひっかけるための問題もあったりで。。。ですが、このルールがわからないと、チェコで運転するのに、自分自身にとってかなりまずいなと思ったので、けっこーー地道に勉強しました。なので、なんと学科は満点合格しましたー!!!ひゃほーー!

最終的には、840問とにかく解いて、わからない部分はチェックして、間違えた部分は、繰り返し問題を解くといった、至極、日本的なテスト勉強のやり方で乗り越えました。。久々にチェコ語のボキャブラリーが、交通の法律用語なので日常に使うことがあるのか謎ですが、めちゃめちゃ増えました。。

まあ、教習所ネタは、あげていくとキリがないのですが、日本に帰る前に免許は取ってしまいたいというのが目標があったのです。私の不安は、とにかく学科試験だったのですが、学科はパスできたのですが、、どちらかと言えば大丈夫だと思っていた走行のテストで、落ちてしまいましたーー!!

まー、試験時にミスった自分が悪いのですが、ここであえて言い訳をするのであれば、試験官が物凄く意地悪な年配の方で、結構罠をはっているタイプだったのです。。試験は、2人受験者と教習所の教官と、試験官といった構図なのですが、最初に試験を受けた青年が、開始5分も立たないうちに、試験官の罠にはまり試験終了になるという、試験の雰囲気に慣れようと思っていた私自身にとっては、度肝を抜かれる展開だったのです。。走る場所も、試験官が指示するのですが、、全然優しくないチェコ語(古く硬いお役人さん的な)で物凄くわかり辛い指示で、なんだかんだ20分ぐらいは運転をしたのですが、緊張もしていたせいか、鬼教官との走行でもやったことないミスをするといった結果で終わってしまったのです。。 試験の雰囲気がわかったので、次回はもう少し落ち着いていけるかなと思っているのですが、次回の追試?は、日本に帰ってからなので、免許が取れたらの報告が書けたらなと思います。

この夏は、教習所がメインな感じになりましたが、実は、運動不足解消のために、水泳に週1で通ったりもしていたのです。私をご存知の方は知っているかもしれないのですが、私は、全くといっていいほど泳げなかったのですが、ついに!!この夏25メートルを泳ぐことに成功しましたー!結構、本人的には嬉しいニュースなのですが、教習所のトラウマにかき消されてしまいました。。

なんだか、免許を取ろう!とか25メートル泳げるようになろう!とか、ちょっとした夏休みの宿題的なノリの生活をしていますが、仕事もちゃんとしていました。現在は、来年3月、金沢で開催予定の展示準備・製作と、今回日本へ行く理由でもある、「ゴレム」の打ち合わせのための準備をしたり、世界的に活躍されている人形劇家・沢則行氏の「セロ弾きのゴーシュ」のプルゼンのでの公演の、現地コーデイネーター?兼、劇中のチェコ語同時通訳(ひゃー!)で参加したりと、色々ありました。

ファイル 229-4.jpgファイル 229-5.jpg「セロ弾きのゴーシュ」(>web)のチームの皆さま方と、過ごした1週間は本当に刺激的で楽しかったです。著名な理学博士で、JT生命誌研究館館長の中村桂子先生(が、語りをやられました!)をはじめ、JT生命誌研究館より村田さん(も、語りを)、さらさん、セロ奏者の谷口さん、ピアノ奏者の鎌倉さん、切り紙作家の細川さん、舞台監督の高橋さん、音響の稲葉さん、プラハ・シンフォニー・オーケストラに所属している打楽器奏者の淳子さんに、人形劇作家の沢さん、また、チェコ語の同時通訳に、狂言師のオンジェイさん(台本も訳して頂きました)も入ってな感じで、本当に濃いメンバーでした。

今回初めて、自分のチェコ語をチェコ人の観客の方のイヤホンで聞いてもらうという体験をして、色々と感じ反省するところもありました。そもそも、狂言師のオンジェイさん(役者さんであり、チェコ人である人のチェコ語)と、私(外国人な上に、舞台裏の仕事をしている人)の2人での同時通訳で、聞かれている観客の方々にとって、あきらかに私が話している部分に差が出てしまっているだろうなあと。ただ、それは現地人と外国人のチェコ語の違いはどうしても埋まるものではないですが、現状の自分のチェコ語をもっと磨いていく努力を怠ってはいけないなと感じたのです。日本語堪能なオンジェイさんですら、日本在住時、日本語を普通に話せるようになってからでも、発音を矯正するための学校に通われていたみたいで、「外国語を話せる、使えるようになるレベルの80%までなら、誰でもいけるけど、80%以上越えるためには、常に努力を惜しまないことが大切。努力した分全部自分に返ってくる!」と話されていて、何年もちゃんとチェコ語という言語と向き合ってこなかった私には耳が痛かったです。これを機に、少しチェコ語を見直そう!と思いました。

その延長戦な話ですが、今回の日本滞在時、京都・瑞雲庵で開催予定の「チェコ・日本現代美術交流展」(>web)の9月12日に開催されるチェコ人のアーテイスト・トークに通訳として参加します。私自身、凄く楽しみな展覧会です!お近くの方はぜひお越し下さい!!!

写真・1 製作しています!
写真・2 この夏、大阪から従兄弟がご家族でプラハに遊びに来てくれました。そして、この歳になって、私と姉を除き8人も従兄弟がいるという事実を知ってかなり驚いたのですが、その時行ったTočník城に居た鷲。舌が凄いなと!
写真・3 プラハ動物園の白熊。。
写真・4 「セロ弾きのゴーシュ」開演前!大盛況でした!!!
写真・5 天使な姪っ子が、この夏チェコに数日間だけ来てくれました!初訪チェコです!3歳間近な彼女は、最近では、「新幹線より、飛行機のが好き!飛行機に乗って、ゆみちゃんに会いにいくー!」と言ってくれているそうです。もう背骨から全部溶けてしまう感じです。


近況報告・6月-2

ファイル 226-2.jpg一糸座さんの公演の後は、東京藝術大学大学院映像研究科アニメーション専攻の教授であり、日本を代表するアニメーション監督の伊藤有壱さんの、プラハでの講演や、大学、アニメーションスタジオ訪問等のコーデイネーターをしました。

ファイル 226-1.jpg伊藤さんとの出会いは、まだ私が東京藝術大学の大学院、在籍時(デザイン科描画造形に在籍していました☆)に、アニメーションの集中講座が開講され、伊藤さんはその時の先生だったのです。かなり、昔の話ですが、私がアニメーションを試した最初で最後の貴重な経験でした。

伊藤さんは、2012年にチェコのズリーンの国際映画フェステイバルで、最優秀アニメーションの賞と、観客賞の2冠取られました。私も、その時期、ブルノで打ち合わせがあったので、電車に揺られつつ、ズリーンまで上映を見に伺ったのを覚えています。そして、なんというか、日本の方が、ましてや、かつての恩師が、こういった名誉ある賞を取られている姿を拝見できたのは、本当に嬉しいかったです。

その時から、何かしら日本とチェコがアニメーションの世界で繋がれないかという課題がありました。

今回の伊藤さんのチェコ訪問は、そういった課題を大きく前進できる収穫あるものだったなと感じました。日本大使館が保有する広報文化センターでの講演、西ボヘミア大学アニメーション学科にて教鞭をとられている、アニメーション監督のイージー・バルタ氏や、バルタ氏を初めとする多くのストップ・アニメーションにてテクニカル・マネージャーをされている、ミラン・スバトシュ氏と対談したり、カレル・ゼマン美術館(かなり、面白いミュージアムです!)の館長さん、オンジェイ・ベラーネックさんとの対談や、FAMUの教授であり、アニメーション監督のアウエル・クリムトさんとの対談、プルゼンにあるアルファ人形劇場への訪問、チェコのアニメーションスタジオ・イアリンへの訪問、等々。。伊藤さんのチェコ滞在期間は、本当に短かったのですが、物凄く濃い内容でした。

日本のアニメーションは世界的に人気な分野ですが、これを機に、短編アニメーション、アーテイスト・アニメーションの分野で、チェコと日本が強く繋がればいいなと思いました。

また、伊藤さんの滞在中、嬉しい再会もありました。それは、伊藤さんよりオーダーされた操り人形のレンガ君との再会です!!オリジナル・レンガくんとも写真を撮らせて頂きましたー!!

本来人形劇畑の私には、出会えないような方々と伊藤さんを通して、話を伺うことができ、本当に数日間でしたが凄く充実した経験ができました。

ファイル 226-5.jpgファイル 226-3.jpgファイル 226-4.jpgそして、PQ(Prague Quadrennial of Performance Design and Space)です。1967年から、4年に1回、毎回プラハで開催されている舞台美術世界最大の由緒あるエクスポです。毎回、参加国の数は変わりますが、70カ国以上の国が参加していたみたいです。舞台美術に携わる人間だったら、絶対に1回は見てみたい展覧会だと思うのです。

4年前のPQでも現地コーデイネーターとして、日本舞台美術家協会さんのお手伝いをしたのですが、今回も同じ形で、微力ながらお手伝いさせて頂きました。

前回同様、キュレーターは、日本を代表する舞台美術家・堀尾幸男さんでした。日本ブースのコンセプトは、チェコテレビでも、取材されているので、動画をぜひ!!(>動画)

プロの舞台美術家が、武蔵野美術大学と大阪芸術大学にて舞台美術を勉強している生徒達をサポートしながら、パフォーマンスを見せるという形での展示でした。期間中、日本の学生さんだけでも40人近く会ったのではないかと思います。皆さん、本当にしっかりしていて、自分自身が学生だった頃、こんなに協調性があっただろうかと問わずにはいられませんでした。(いや、もう絶対なかったです。。)今回のPQのプロの舞台美術家さんの参加人数は、前回と比べると凄く少なかったのですが、逆に生徒さん達の参加数が本当に多くて、別の意味で刺激的でした。

そして、PQ中は本当に世界各国から大勢の演劇人がプラハへ集まりました。いったい何人の知り合いにPQ期間中に会ったのかよくわからない状態でした。その中でも嬉しかったのが、春にアメリカでプレミアを迎えた「Mysterious Lake」の演出家・芦沢いずみさんがプラハに来てくれました。かなりの日数をアメリカで一緒に過ごしたにも関わらず、ゆっくりご飯を食べることができなかったので、今回念願の夕飯をご一緒できました。

また、人形劇の世界では大大大大先輩である、人形遣いの黒谷都さんと塚田次実さんが、ポーランドのフェステバルに参加された後、プラハにも立ち寄ってくれました。お話していると、アット言う間に時間が過ぎてしまうぐらい、楽しいかったです。

なんだか、6月は、PQ効果があってか本当にお祭りな毎日でした。

現在は、前回書いた「ゴレム」プロジェクトの準備で、グフタフ・メイリンクの『ゴレム』を読んだり(面白いです!!)、金沢の展覧会のアイデアスケッチ等々をまとめたり、作品も徐々に作り始めたり、まだ書けないプロジェクトの事など色々とやっています。考えてみると、4月はアメリカと日本、5月は日本と一糸座さんのツアー、6月は、伊藤さんやPQ、3ヶ月間ほとんど家にいなかったのです。いい感じで、自分のペースをつかみなおして、製作に集中をしなければです!!!(教習所へも通い始めます。。!)

写真・1 西ボヘミア大学で教鞭をとられている、ミラン・スバトシュ氏と伊藤さんと生徒さんの写真。スバトシュ氏は、以前私がDAMUへ通っていた時の先生でもありました。

写真・2 レンガくん再会!!
写真・3 PQ!!今回のPQは会場が、プラハの中心街に点在していました。そして、PQの今回のモチーフは椅子だったみたいで、ポスターからTシャツ、様々なものが椅子でデザインされていました。
写真・4 仕込み風景。日本ブースは、アン教会でした。凄い綺麗な空間でした!
写真・5 パフォーマンス風景。日本でも今月13日から15日まで池袋で上演があるらしいです!ご興味のある方はぜひ!!


近況報告・6月

ファイル 225-1.jpgバタバタした生活が続いていました。。。

ファイル 225-2.jpg前回ブログでは、引き篭って展覧会用に製作しなければ!と書いていたのですが、この1ヶ月ちょいの間、ほとんど家にいない生活が続いていました。というのも、5月26日より、一糸座さん(旧:江戸糸あやつり人形座さんです。名前が改名されました。)のチェコ・スロバキア公演のオーガナイズをしていたので、ツアーを同行しました。そして、東京藝術大学アニメーション学科の教授であり、日本を代表するストップモーション・アニメーション監督の伊藤有壱さんの、プラハでの講演や、大学、アニメーションスタジオ訪問等のコーデイネーター等をし、その後、PQ(Prague Quadrennial of Performance Design and Space)という、毎回プラハで開催されている4年に1回の舞台美術世界最大のエクスポの日本代表、日本舞台美術家教会さんのコーデイネーターをしていました。

ファイル 225-3.jpg普段、オーガナイズの仕事をメインでやっているわけではなく、たまたま重なったわけですが、いつも引き篭って仕事をしている私にとっては、この1ヶ月でありえない数の人と会い、1日中話し続けた感じだったのでした。1年分人と話したのではないかと思います。凄く刺激的な人達に出会え、目が回るような楽しさでした!!

色んな事が沢山あったので、その時々にブログを書けなかったのは残念ですが、一つ一つ思い出しつつ書けたらなと思います。

まずは、一糸座さんのチェコ・スロバキア古典上演のツアー。

一糸座さんの公演は、5月28日にプルゼンのアルファ劇場で2回、29日にプラハのDisk劇場、31日にブラチスラバのマラー・スツエーナ劇場でありました。チェコ・プラハの公演では、在チェコ日本国大使の山川大使が、スロバキア・ブラチスラバの公演では、在チェコ日本国大使の江川大使が訪問してくれました。準備がかなーーり大変だったので、どの公演も大盛況に終わり本当に良かったなと思いました。

一糸座さんと過ごした約10日間は本当に勉強になりました。

一番に、結城一糸さんの糸操りをまじかで見ることができたことです。人形遣いとして、62年舞台に立ち続けられている一糸さんのお話は、人形を作る私にとっては、本当に貴重な時間でした。私の尊敬する人形師の中の一人に、文楽の頭を製作していた大江巳ノ助さんという方がいます。なぜだか、わからないのですが、一糸さんのお話を聞いている時は、いつも、大江氏が若い頃体験した、人形遣い・吉田文五郎氏とのやりとりを、なぜか思い出しました。人形彫り師は、人形遣いの方より人形の遣い方を学び、それを基に、製作に昇華していくものです。未熟な私にとって、一糸さんのお話やパフォーマンスは、多くのことを学べる本当に貴重な体験でした。

ファイル 225-4.jpgまた、劇団に属したことがない私にとって、10日間一緒にツアーに同行するといった経験も楽しいものでした。そして、チェコに来てから、演劇の世界に飛び込んだ私にとっては、一糸座さんは、初めての日本の劇団との関わりだったのです。もちろん、日本人とパフォーマンスを作るというプロジェクトでは、現在、北九州に住む役者・谷口直子さんと2作品制作しています。が、彼女の演劇スタイル事態が日本―チェコ的であり、純粋な日本の劇団というのは初めてだったのです。

そして、色んな日本語での演劇用語も学びました。おもしろい話ですが、チェコ語で知っているのに、日本語では全くわからないのです。また、舞台監督という、チェコの人形劇場にはないポジションの仕事についても勉強になりました。一糸座さんの仕込みの現場を仕切っていた舞台監督であり人形遣いの海老沢栄さんの指示を見て、チェコでもスロバキアの劇場裏の人達が感動していました。特にスロバキアでは、トランク3個から、舞台と人形全部出てきた時は、公演協賛をしてくれたブラチスラバ人形劇場の劇場支配人の方から「日本ミニマリズム!!」のお言葉を頂きました。

一糸さんの奥様であり人形遣いでもあり、製作等の一手に荷っている民子さん。今回のオーガナイズにあたり、半年間の間、特に1月あたりからは、本当にほぼ毎日メールのやりとりや、かなりの回数のスカイプ打ち合わせをしました。色々と状況的に難しい面にも直面しましたが、民子さんの持つ根っこの部分の性格の明るさが状況を打開していったような気がします。劇団一つの海外公演オーガナイズというのは、私自身初めての事だったので、見えないことも沢山ありましたが、今回の経験で色んな事を学んだ気がしました。

最初に一糸座さんから、ツアー・オーガナイズの話を頂いた時、日本の古典演劇をヨーロッパで上演するというのは難しいことであり、やりがいがあるお仕事だなと思いました。ただ、これが日本の古典演劇ですという一方通行な形では終わらないような、観客の方が古典を楽しめるような形にできたらいいなと色々アイデアを考えました。日本側と観客側を繋ぐ橋のような存在が欲しいなあと。。。

今回、一糸座さんの公演の成功を裏で支えてくれたのは、チェコ人で狂言師のオンジェイ・ヒーブルさんでした。オンジェイさんは、11年間京都の茂山家に師事し、チェコ・ブルノにおいてもチェコ人によるMalé Divadlo Kjógenu という狂言のプロの劇団(チェコで本当に人気の劇団です)を作ったり、NHKでも取り上げられたり、チェコで日本で大活躍している方です。そんなオンジェイさんに、一糸座さんの公演の司会進行的なものを頼みました。

ファイル 225-5.jpg狂言の世界を熟知しているオンジェイさん。古典のおもしろさをどう伝えたらいいか本当に良くわかられていて、説明が本当にわかりやすく、そのことも劇を盛り上げたと思います。毎公演後、観客の反応を見て、オンジェイさんの話す部分を変えていったのですが、一番凄かったのは、リハーサルができなかったのにも関わらず、最後にやったスロバキアでの公演では、30分の「釣女」の上演を即興同時通訳されたことです。日本人の私(と比べてもあまり意味がないかもですが。。)が聞いても、わかるような、わからないような古典の言葉を即興で訳し、さらにはおもしろかったので本当に驚きました。上演後、そのことを話したら、「狂言でも釣女はあるし、全然大丈夫だったよー」みたいな感じだったので、ホントに凄い人がいるのだなーと思いました。

今回、一糸座さんのチェコ・スロバキア古典ツアーを終え、一糸座さんとのプロジェクトは、2016年6月8日、KAATにてプレミア予定の「ゴレム」へと繋がります。チェコー日本共同制作になります!!!しかもKAATは、横浜にある劇場です!私にとっては、なんというか地元凱旋なプロジェクトです! 本当に嬉しいです!!詳細は徐々に書いていけたらと思っています。

結構長くなってしまったので、アニメーション監督の伊藤有壱さんとPQの事については、次回に書けたらと思います。

写真1 一糸さん、上演風景
写真2 一糸さんと息子の敬太さんの上演風景
写真3 上演後の風景。満員御礼でした!
写真4 上演前の舞台裏風景!
写真5 このツアーでは、音響もやっていました。ヒャー!スロバキアの劇場より


日本滞在

ファイル 224-1.jpgファイル 224-2.jpgファイル 224-3.jpgファイル 224-4.jpgファイル 224-5.jpg4月21日から5月8日まで、日本に滞在していました。以前も書きましたが、来年の3月に金沢しいのき迎賓館にて、のはちゃんこと、中乃波木さんと2人の展覧会が企画されています。今回の日本帰国は、本当に贅沢な話ですが、その展覧会準備のため、のはちゃんと能登取材旅行が目的でした。展覧会の期間はまだまだ先ですが、大きい空間です。沢山作品を作る予定です。今年抱えている仕事は、大なり小なり色々なプロジェクトがありますが、この展覧会に向けて動くのが来年までのメインプロジェクトになると思います。

私にとって、演劇現場等での仕事と、作家としての仕事のバランスは凄く大事です。

演劇現場では、一人では絶対に作り出せないものを作れるおもしろさ、大勢で作りあげるコミュニケーション過程のおもしろさ(おもしろくない時もありますが、、でもきっとそういう状況も含めておもしろいのかもしれません)、抱える仕事の量に対して期限が短かったり、内容や状況に合わせて、即興的に対応していったり。踊れないくせにこういう表現も変なのですが、状況とダンスをしているような気分になるのです。大勢で作るパフォーマンスという一つの作品が、おもしろくなるためだったら、自分の小さなこだわりとか、自我とか、いかに捨てて、全力で色んなものを取り込んで、飲み込んで、一つにまとめ上げていく感じも好きです。

私は、どちらかというと、一つのことが気になると、のめり込んでいってしまうタイプなので、そういう意味でも、演劇の仕事は、大きくやっていかなければならないので、考え方の変換や精神的にも、いいバランスになっているなと思います。日本では、ずーーーっと引き篭って人形を作っていた感じだったので、チェコで人形劇に出会ったのは、本当にプラスだったなと思っています。

と書きつつも、反面、個人の力も信じている自分もいます。大勢でなければ、絶対にできないもの。逆に、個人でなければ、絶対にできないもの。今年、前半は、「アンネの日記」と「Mysterious Lake」の2つのパフォーマンス製作に全力を注ぎました。沢山の人と出会い、やりとりをし、色んな刺激を受けました。後半は、自身と向き合い、自己表現という場に全力を注ごうと思っています。製作は個人の仕事ですが、とはいっても、今回の展覧会は素敵なアーテイスト・のはちゃんとの2人展です!!一緒に打ち合わせしつつ、おもしろい形になるよう沢山作戦を練っています!こういった形で、のはちゃんと一緒に一つの展覧会を創り上げられることを、本当に名誉に思いますし、がんばらなければー!と思っています。

展覧会期間は、14日間前後?ですが、この限られた期間、一人でも多くの方に楽しんでもらえるよう、製作に励もうと思っています!またまた、引き篭り生活の始まりです。金沢は、ちょっと遠い方も沢山いるかと思いますが、東京から、北陸新幹線のおかげで、たったの2時間半です!日帰りも可能な距離です!沢山の方に金沢に来てもらえるよう、これからもしつこく、展覧会について書いていこうと思っています。そして、少しでもご興味を持っていただけましたら、ちょっと先ですが宣伝していただけると嬉しいです!私は、北陸方面の知り合いがほとんどいない(今回、のはちゃんの金沢の素敵な友人達に会うことができましたが)ので、少しドキドキなのです。

能登の取材旅行は、本当に現世を忘れるぐらいの不思議な濃密な時間でした。私は子供の時より、家族から「雨女」の称号をもらっているのですが、雨とかもうそんなもの、忘れさせるぐらいの快晴続きでした。(金沢に帰ってきたとたんに天気が悪くなりましたが)たぶん、能登の風景は、日本人全ての人が思い描く原風景な気がします。私自身、夏休みの思い出的な、田舎に住んでいるおじいちゃんとおばあちゃんの家で過した的な、、経験が全くない家庭に育ったのですが、全く初めて接する風景なのに、懐かしさがあふれていました。心から、日本は綺麗だなと。

のはちゃんのお母さんの工房で寝泊りしていた時は、本当に「ホーホケキョ」の鳴き声で目を覚まして、のはちゃんの実家で寝泊りしていた時は、寝る瞬間まで川のせせらぎや蛙の鳴き声が聞こえていて。能登では視覚的な美しさだけでなく、耳に感じる音の豊かさも凄く良かったです。

今回の能登取材のメインは、能登を見つつ能登に住む方々に取材するといったものでした。詳細は、今後少しずつ書いていければと思うのですが、のはちゃんのオーガナイズのおかげで、本当に素敵な方々に会うことができ、沢山のインスピレーションを受けました!現在はアイデア出し段階なのですが、来月あたりから製作開始できたらなと思っています。

そして、短い期間でしたが、日本に帰れて凄く良かったです。まだ、未定ですが、次は秋頃帰るかもです。天使な姪っ子が2歳半になり、言葉を覚えだして、本当におもしろくなってきています。彼女自身も、なんだかよくわからないけど、私が家族の一員なんだろなーということを、感覚でわかってくれているみたいで。今回チェコへ帰る時、両親と姉夫婦と天使が、羽田空港まで送ってくれたのですが、2歳半でも、なんかこのバイバイは普通のバイバイとは違う!?と思ったらしく、私の名前を見えなくなるまで叫んでいて、、なんだか、これから帰る度に、別れがより辛くなるなあーと思いました。

お知らせです。半年ぐらい前からオーガナイズ準備をしていた、江戸糸あやつり人形座さん
( >web)の欧州ツアーが、今月末にプラハ、プルゼン、ブラチスラバであります。390年以上の日本最古の操り人形の伝統を継承するあやつり人形座です!代表の結城一糸さんは、5歳で初舞台を踏み、65年間人形遣いとして舞台に立ち続けられています。本当に、凄い方です!!

2015年5月29日Disk劇場 ( Karlova 26, Praha 1) にて
19時より上演。入場料は無料ですが、劇場で整理券を配布しています。
2015年5月31日 Malé scéně STU (Dostojevského rad 7, Bratislava).にて、18時より上演。
入場無料。(詳しくは web より)
2015年6月2日在チェコ日本国大使館・広報文化センターにて、18時より、講演+ショート・パフォーマンス。

プラハ、ブラチスラバにお住まいの方はぜひ!!

写真1-Photo 中乃波木 能登の見附島です。普段はこんなに引き潮ではないみたいなのですが、たまたま行った時はかなり引き潮で、かなり見附島の近くまでのいけました。見附島は、なんか鳥の楽園というか、沢山のサギが住んでいました。
写真2,3-Photo 中島 正士 のはちゃんとツーショット!能登の志賀町での写真で、世界一長いベンチがある街で、何より海岸線が綺麗なところでした。
写真4 きつね!のはちゃんの実家で撮りました。能登旅行中には沢山の動物にあいました。写真には撮れなかったのですが、のはちゃんの実家では、こうもりの来訪もありました。
写真5 うみうし??写真1の見附島の海(能登全体の海が)が本当に透明度が高かったんですが、そこで見つけたやつ。触ったらブニブニしていて、意外に動きは早く逃げていきました。。


アメリカ滞在

ファイル 221-1.jpgファイル 221-2.jpgファイル 221-3.jpgファイル 221-4.jpgファイル 221-5.jpg 5月8日より、チェコへ帰ってきています。久々な我が家な感じです。日本滞在は、のはちゃん(写真家:中乃波木さん)のおかげで、本当に濃密な時間を過ごすことができました。滞在のほとんどが、能登と金沢でしたが、それでも家族に一目会えたのも嬉しかったです。

なんというか、先月より本当に色んな事がありすぎて、感覚のパンクといいますか、少し落ち着いて自分の感情をゆっくり紐解きつつ整理しなければと思っています。

時系列的にアメリカでのことから思いだしつつ書いていこうと思います。

4月1日から17日まで、アメリカに滞在していました。2回目のアメリカ訪問の最初のハードルは、ニューアーク空港から一人で、ニューヨーク州のStony Brook大学までたどり着かなければいけないことでした。移動距離が、待ち時間も合わせると4時間以上のちょっとした小旅行だったのと、乗り換え等もあったりと、荷物も結構あったりとで、内心ちょっとビビッていました。実際は、初めて着た時に、いずみさんに空港まで来てもらった時の記憶が、ペンステーションの内部も含めて、思いのほか結構鮮明に覚えていて全く問題なくたどり着きました。大学にたどり着くまで、駅構内、切符を買う時や、電車に乗る時(スーツケースを持っていたので)など、4回「何か助けが必要?」的に、男女関わらずアメリカ人の方々が気さくに声をかけてきてくれて、ちょっとアメリカ人に対する親近感が上がったりもしました。こういった行為は、マンハッタン旅行中にも、本当に何度もあって、少しでも方向感覚をなくした感じで地図を見ていたりすると、向こうから「何か助けが必要?」的に聞いてきてくれたりで、それがその後お金をせびるとか、そういう類の下心等のないもので、気さくな挨拶にも似た感じで、いいものだなあと思いました。

アメリカ滞在の前半は、「Mysterious Lake」の準備でした。記憶が飛んでいますが、リハ(だいたい夜の10時すぎまでありました)の合間をぬいつつ、修正、彩色、仕上げに追われました。前回の滞在時は、リハの後にいずみさんが、一諸に劇場に残ってくれて明け方まで作業の手伝いをしてくれていました。ですが、今回は、プレミア直前ということもあり、演出もしつつ、パフォーマンスにも出演しつつ、プロジェクト全体を仕切りつつ、アシスタントがやるような仕事すらもこなされつつ、さらには授業でも教えたりな感じで、毎晩ヨレヨレな状態になっているいずみさん(そんな緊迫状態の時でも、毎朝トレーニングを欠かされていませんでした。。)に、これ以上負担をかけては、、と、一人で劇場に残って作業することにしました。

これが、結構怖かったのです。。まだ、チェコに来たての頃に参加した「浦島太郎」のプロジェクトでも、半月以上劇場で一人寝泊りするといった経験があるのですが、その時もけっこーー怖かったですが、なんか別の怖さがありました。

私自身、全体像をつかめていない、建物全体が本当に大きい(大劇場、中劇場や小劇場等、たぶん地下にもなんか大きな空間があるっぽい、本当に大きな建物でした)慣れない空間ということもあったのですが、作業している中劇場からトイレまでが凄く遠かったことや、さらにはさらには、守衛さんがいない上に、深夜0時までは、本当に誰でも建物に自由に出入りできて、その後の見回り等もないため、誰が建物の中にいるのか全くわからないことなどが、結構不安にさせました。作業していた劇場空間事態は、鍵を閉めることができたので、作業に集中できていればそんな怖くはなかったのですが、いざトイレへ行く時やホテルに帰る時は、ドキドキでした。護身用にカッターをポケットいれて臨戦態勢で移動していたのですが、後になって思ったのが、私自身がもしかしたら一番危険人物だったのかもなーと。ホテル側も、毎朝3時とか4時に大荷物をかかえて帰ってくるよくわからない怪しいーアジア人客に見えたと思います。。

中盤は、待ちに待ったニューヨーク観光でした!

私の勝手なニューヨークのイメージは、吉田秋生さんの漫画「BANANAFISH」の影響が凄く強いです。様々な人種がゆきかう巨大都市で、その中にも地区ごとにレキッとした民族性があり、マンハッタンという島の中に絶対に立ち入ることのできない区域があったり、、といった感じで。銃というものを所持できるという点も影響してか、日本やヨーロッパよりも、危険な街なのだろうなといった漠然としたイメージがありました。

こういう書きかたをすると、誤解を招くかもしれませんが、実際に短い期間ですが、私が垣間見たマンハッタンは、私の想像よりも数百倍安全な街に感じました。(私の想像がすさまじいものだったのかもしれませんが)地下鉄も、ワイルドな方々もいましたが、夜遅くても、女性もかなり乗っていて、日本と同じように結構寝ている人も沢山いたりして。また、遅い時間になると沢山の警官の方も見回っていました。泥棒・スリの方々は、ヨーロッパのが、多いのではないかと思いました。

ニューヨーク観光の最初は、コネチカット州のRedding住むチェコ人の友人宅に泊めてもらうところから始まりました。なんというか、アメリカ映画に出てくるような、周りが森に囲まれた豪邸に住んでいて、めちゃめちゃ可愛い子供が3人いて、英語なまりのチェコ語で会話したり、遊んだりで、凄く癒されました。色んな所に連れていってもらい、アメリカの自然が、日本やチェコとも違っていてその辺もおもしろかったです。特に嬉しかったのが、Cardinalという真っ赤な鳥を見られたことです。きれいでしたー。

そして、マンハッタン観光。

私が旅行とか、どこか知らない所へ行くのが好きな理由の一つに、初めて行く場所の右も左もわからない不安な感じからスタートして、地図と交通機関と自分の足を使って、オリエンテーションをつけていく過程が凄く好きなのです。散歩は、私の数少ない大好きな趣味の一つなのですが、同じ地域を歩いていても、できれば歩いたことのない道を歩いて自分の脳内マップを強固なものにしていきたいタイプなのです。

前置きが長くなりましたが、マンハッタンは、そんな私が楽しめるロジカルな巨大都市だったような気がします。ロジカルといいたいのは、マンハッタンの通りの名前、駅名等、最初は味気ない(「57st,」や「30av,」といった通り番号の駅名、通り名が多いのです)と思ったのですが、何日か滞在して、凄く覚え易くオリエンテーションをつけやすい!!と、後からジワジワ驚きました。

滞在したのはクィーン地区で、中国系の方々が沢山住んでいました。中国系の大手スーパーも凄くおもしろかったですし、中国人の方々であふれる食堂やブッフェも沢山あって、麺をのばしては折ってまたのばして、どんどん麺を細く増やしているやつを見ながら、らーめんを頂くのは格別で、餃子やらなんやらも、とにかく安くておいしかったです。滞在中は、中華料理やメキシコ料理ばかり食べていました。

そんな長い期間観光はできなかったのですが、一応マンハッタンの上から下まで全地域はまわれませんでしたが、地下鉄を使いつつ、要所、要所は、歩き垣間見ることができました。地域ごとに違う特色はあって、何より、時代を感じさせる高層ビルの雰囲気が独特で良かったです。

また、子供の頃見た、NHKみんなのうたの大貫妙子さんの「メトロポリタン・ミュージアム」の人形アニメーションの記憶が結構残っていて、メトロポリタン美術館に行くのを楽しみにしていました。私は、アフリカ・オセアニア・アメリカ芸術部門 が好きでした。MOMAやグッケンハイム美術館など色々と行きましたが、個人的には、アメリカ自然史博物館の恐竜の化石の展示が凄くおもしろかったです。美術館、博物館等もアメリカサイズというか、本当に大きくて、持っているものもさすが!といった感じだったのですが、それよりも、なんか街の中が、街を構成している人達が本当に見ていておもしろかったです。人種のるつぼと言われていますが、本当にその通りで、ビザ等の問題はもちろんありますが、誰もがアメリカ人になることが可能なのだなと。その辺も、日本やヨーロッパとの違いを感じました。

滞在のしめくくりは、「Mysterious Lake」の最終仕上げとプレミアでした。本当に色々と現場であり、最終仕上げの間も記憶が飛んだ感じでした。現場裏の話なので詳しいことは書けませんが、まあ、ネタになるような事が沢山ありました。いずみさんや、双子の役者、ベネッサとレイチェルがいなければ乗り越えられなかったです。プレミアを無事に迎えられたことは、本当に嬉しかったです!!4月24日にStony Brookでの公演は終わりましたが、来週はネバタ州で「Mysterious Lake」の上映会があるようです。まだまだ、「Mysterious Lake」続きます!!

長くなってしまいました。日本滞在のことも一気に書ければと思います!

写真1,2,3 マンハッタン!
写真4 Cardinal!!
写真5 アルマジロ!!!?(アメリカ自然史博物館)

 


能登・のはちゃんの旅

ファイル 220-1.jpgファイル 220-2.jpgファイル 220-3.jpgファイル 220-4.jpgファイル 220-5.jpg4月21日より日本に来ています!

今月は、アメリカ、1日半チェコ、そして日本と移動を重ねていたので、時差ぼけになるかな?と思いきや意外に大丈夫でした。そして、現在は、能登に取材旅行に来ています。というのも、来年の3月に、金沢しいのき迎賓館にて、北陸を中心に大活躍をされている写真家であり、イラストレーター、執筆までこなしているマルチなアーテイスト・中乃波木(なか のはぎ)さん(通称:のはちゃん)と、2人の展覧会が企画されているからです。展覧会の内容等の詳細は、少しずつ書いていこうと思っていますが、「アンネの日記」や「Mysterious Lake」が一段落し、これから始まるプロジェクトの中でもメインなものになってきます!

ずーっと仕事でバタバタが続いている状態が続いていた感じで、特にアメリカのプロジェクト後はヨボヨボな感じだったのですが、能登に来て、なんかもう色々と全回復している感じです。本当に凄いです!能登力。初めて見たマンハッタンの感想とか、おもしろかったこととか、沢山書きたいことがあったのですうが、もうそういった感情が能登力に全部上書きされています。。

初・能登!日本に住んでいないこともあり、日本のテレビ事情に結構うとくなってきているので知らなかったのですが、今期NHK朝ドラの舞台が、能登とのこと!しかも、内容が、東京から能登へ移住した親子の話とのこと。『ええ?のはちゃん親子のこと??』とかなり驚きました。

今回、一緒に組んで展覧会をする、中乃波木さんは、東京造形大学に在籍していた学年が同じで、専攻が違うったものの(ノハちゃんは写真専攻、私は、ななんとグラフィック専攻)、凜とした感じの立ち振る舞いも人目をひいていたし、近しい間柄ではなかったのですが、気になる人といった感じでした。学生の頃から故郷・能登の写真を撮っていて、白黒の写真だったのですが、今でもハッキリ覚えているほど、学生の頃より凄いなと感じた人の一人でした。
仲よくなったのは卒業後で、定期的に会っては仕事・製作の話中心で盛り上がったり刺激しあったりな感じの間柄でした。なので、お互いの私生活的なことはあまり知らない感じできました。

一番の転機は、2013年にのはちゃんと、のはちゃんのお母さんで、陶芸家の中十七波(なか となみ)さんがプラハへ旅行に来た事でした。(詳しくは、過去のブログをお読み下さい。2013年10月21日の欄です)それまでは、のはちゃんがアーテイストとして、女性として、しなやかな芯のある強さみたいな魅力が何処から来ているのかなと思っていたのですが、お母様と出会って本当に納得といったぐらい、お母さん・となみさんの人としての大きさが半端ななかったのです。私の人生で出会ったお母さんの中でも、となみさんのスーパーお母さんぶりはダントツ一番です。

色んなことが20年以上先取りといいますか、以前にも書きましたが、のはちゃんが小学校4年生の頃、学校では学べないことを見せようと4ヶ月アマゾンに旅へ行ったり、田舎暮らしをしたいと今から24年前に、母娘二人で、日本全国で受け入れ先を探し、唯一受け入れてくれた能登へ移住したらしいのです。その頃、のはちゃんが中学1年生で、となみさん自身は東京生まれで田舎ぐらいの経験のないまま、能登に移住し、自分でどう生活していくのか学び、現在はほぼ自給自足で季節とともに、食を楽しみ、器を楽しみ、俳句を楽しみな本当に素敵なお母さんです。

現在、「能登」という季刊誌にて、のはちゃんは『大波小波』というタイトルで連載をもっています。もう、5年間も続いているそうで、内容は、『1992年に母と二人でやってきた能登の旧柳田村。今も能登町柳田に「陶房 眠兎」を構える陶芸家の母、十七波さんと写真家になった私の能登人生記』とのこと。このエッセイと平行して、リアル能登移住ストーリーを執筆しているそうです!

能登では、となみさんのアトリエや、ご実家で滞在させてもらい、お母さんの本当に美味しすぎるご飯を頂いています。能登の海の幸も満喫していますが、今回頂いたもので、一番はまってしまったのは、今が旬らしい「こごみ」です!私は初めて頂いたのですが、本当に美味しすぎて、美味しすぎて。。

また、能登での取材のかたわら、のはちゃんと温泉へ入ったり、色々な事を語らったり、ご実家の一つのベットで2人で寝たり、なんだか、高校生以来な体験満喫です。先月、いずみさんと一諸に仕事をした時もそうでしたが、青春的体験をこの歳でまた体験しているような感じです。

写真1,2,3 能登写真!
写真4 こごみです。開きすぎるとおいしくないらしいです。
写真5 ノハちゃん!夜、庵を囲んで語り合ってる時に、「えっ?小雪さん?」ってな感じでびっくりして激写しました。すっぴんです。きゃー!


「Mysterious Lake」プレミエラ!!!!

ファイル 216-1.jpgファイル 216-2.jpgファイル 216-3.jpgファイル 216-4.jpgファイル 216-5.jpg4月1日よりアメリカに来ていて、昨日帰ってきました。

今回のアメリカ滞在は、3段階にわかれていました。最初は、「Mysterious Lake」の準備。中間は観光。後半は、最終調整と仕上げ・プレミアといった感じでした。最初の準備期間で起きた事や初めてのアメリカ観光(今回は、マンハッタンを見ることができました☆)など、色々なことがあり感情や感覚がめまぐるしく変化したり、刺激があったり、書きたいことも沢山あったのですが、結局今の感情は、プレミア直前の感情が激しいものだったので、その感覚一色になってしまいました。まずは、その感覚を書き留めておけたらと思います。

「Mysterious Lake」は、4月16日に無事にプレミアを迎えることができました。日本の劇場システムのように、4月24日の千秋楽まで一気に上演が続くようです。私は、プレミアを見届けてチェコに帰ってきました。

今回のプロジェクト「Mysterious Lake」は、今まで色んな現場での修羅場を抜けてきましたが、一番大きな戦いだったような気がします。この歳で、苦労自慢とか頑張った自慢とか恥ずかしいのですが、いや、本当に寿命を縮めるような戦いでした。。体力的、精神的、たぶん自分の製作速度等も含め限界点が見えたような感じでした。それも、これも、(やっぱりおいなりさんを食べ続けている)演出家・芦沢いずみさん自身が、イメージでは、本当にアマゾネスの女王が、相手の返り血をあびながら先頭に立って敵陣に切り込んでいるような感じで、物凄い気迫で戦われているからです。そんな姿を見ると私も頑張らねばとなりますし、何より、いずみさんが持つ力といいますか、限界を越えている状態でもやる気にさせる方法・言葉をお持ちで、なんだか記憶がない状態でもフガーって働いていた気がします。

そんな「Mysterious Lake」。

いずみさんのオリジナル戯曲なのですが、感覚的な面で近いところが結構あったので、かなりすんなり入ることができました。時間的な戦いはすさまじかったですが、製作面(アイデア出しを含めて)はかなり楽しいプロジェクトでした。やっぱり、妖怪とか凄く好きなんです。

劇中での主役の少年と、準主役の河童を、いずみさんのカンパニーから招待参加していた、双子の役者レイチェルとベネッサが演じていました。双子なので、呼吸の合い方も特別で、劇中的な意味でも、双子が演じていることで凄く強いものになっていていました。彼女達ほど練習をしている役者さん達に会ったことがありませんし、一緒に仕事ができて本当に楽しかったです。

プレミアを無事に迎えることができて、この作品に参加できて本当に良かったなと感じています。色々とキツかったですし、全く終わりが見えなかったプロジェクトですが、ちゃんと終わりまでたどり着けることができたことにも安堵感もあります。こんな状態でずっと仕事をしていたら絶対に早死にしますが、それでも劇場での仕事の変な魔力といいますか、苦しかったことより楽しかった感じが強くなってしまい、あんなに大変だったのに、やっぱり劇場での仕事は楽しいなーなんて懲りずに思ってしまっています。(劇の魅力は記録に残せない、瞬間的な打ち上げ花火のような魅力があると思うのです)

この数ヶ月いずみさんとはかなり集中的にコミュニケーションを取ってきました。プレミアを迎えて、一区切りがついたので、こういったコミュニケーションが、また当分する事はないと思うと、じわじわ寂しくなるだろうなと思います。しかも、またもや結構一諸にいたのに、ゆっくり夕飯なんかを食べる時間がありませんでした。次回、いずみさんに会える時はちゃんと、ご飯ぐらい食べられるといいのですが。

アメリカ観光についても、後日忘れないように後で書こうと思っています。

写真1 パフォーマンス風景:Photo by Rick Burks
写真2 パフォーマンス風景:Photo by Rick Burks(ホラーシーンに見えますが、結構かわいいシーンなのです)
写真3 仕上げ風景。今回一番怖かったのは劇場に一人で残って仕事していたことです。
写真4 いずみさんと、ホテル同室で寝泊りさせてもらっていたのですが、この鬼気迫る意味深なメモ書きが部屋のいたるところにあって、爆笑して思わず撮りました。
写真5 プレミア後、ヨボヨボヨレヨレな、いずみさんと私。「Mysterious Lake」で製作した自身の人形達と、いずみさんとの別れ的なシーンなのでしょうか?なぜか、わたし正座して話しているところがうけるなと思いました。


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